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2008/02/20

『チーム・バチスタの栄光』を読んだぞ

〈……この案件は果たして当委員会で対応することが要求されるべき案件であるかどうか、そこのところについて、どのようにお考えになるのか、様々な意見を 総合的に勘案して、可及的速やかに対応をはかるべきかどうかを、直ちに早急に検討に入るべきかどうか、こうした点を含めてできるだけ多数の方達の厳選中立 的な意見をふまえた前提で……〉
 田口の想像する、リスクマネジメント委員会の曵地委員長の言葉。

『チーム・バチスタの栄光(上・下)』海堂 尊(宝島社文庫 476円×2+税)

 ある月曜日の朝、突然に病院長室に呼び出された田口公平は、高階病院長から、ある特命任務を依頼される。この東城大学医学部付属病院は、フロリダのサザ ンクロス心臓疾患専門病院から心臓外科の若き権威、桐生恭一を招聘した。それは拡張型心筋症で心室肥大をおこした心臓を、一旦体外に摘出して拡張した心臓 の左心室を3分の1程度切り取りコンパクトに形を整え直す、バチスタ手術という世界でも数の限られた先進医療を行うためだった。桐生はバチスタ手術の専任 チーム、「チーム・バチスタ」と呼ばれる心臓外科手術のドリームチームを率い、1年前の第1例以来26例目まで、世界中のバチスタ手術全体でも驚異としか言えない成功率100パーセントの成 績を上げていた。しかし、近例4例中3例で手術中の患者死亡、いわゆる術死が発生した。たしかにあまりにも急激な成功率の低下だが、それでもまだ通算スコ アでは30例中3例の失敗、世界のバチスタ手術の水準(6割程度)を大きく上回っており、医療過誤を問題にせねばならぬ比率とは思われない。それほどバチ スタとは難しい手術だった。病院長の依頼とは、この手術に医療過誤、つまり手術中のミスや、機材・手法・チーム構成などのシステム的な欠陥などが紛れ込んでいないか、原因を明らかにしてほしいということだった。
 本来ならばこの任務は、リスクマネジメント委員会が担当すべき作業だ。しかし、委員会の曵地委員長の事勿れ主義を勘案すると、到底スピード解決は望めない。そこで高階病院長は、リスクマネジメント委員会に諮る前の事前調査という名目で、田口に素早い対応を求めたのだった。

 田口は、血を見るのが嫌いで神経内科医になった神経内科学教室講師。医学部の付属機関である大学病院においては、極めて珍しいタイプの臨床医。論文を書くことに血道を上げる同僚たちとは全く志向が異なり、学威を増して出世をしたいナンてことは全く考えていない。病棟を増築した時の渡り廊下工事で半端に余って放置されていた空きスペースに、自ら望んで不定愁訴外来(通称『愚痴外来』)を開き、出世欲と権謀術数の渦巻く大学病院で、仙人のごとく派閥の風から身を躱して生き延びて来た、ある意味病院内で最も不思議な男。不定愁訴外来は、各科での治療を受けたものの頭痛・目眩など「主観的な自覚症状に苦しんでいる」が「客観的に観測し辛く、原因も把握出来ない」という、「やっかいな患者」を引き受けてくれる便利な所。田口公平はここで、患者の訴えに耳を傾け続けた。ただ、辛抱強く訊き続け、時間をかけて原因を見つけ出して行っただけだが、この辛抱強さが、他の外来部門からはじき出されて来た患者たちに好評を博し、実際ここに来たおかげで快方に向かった症例が、不定愁訴外来を東城大学医学部付属病院になくてはならぬものに押し上げていた。かくて、派閥の嵐から逃げ回っていた田口は、今では相応の影響力を持つ、大学病院内の特異点となっていた。
 田口は、チーム・バチスタの一人一人から聞き取り調査を開始した。予定されている次の手術は3日後、しかも、この患者は国境なき医師団から依頼された紛争地のゲリラの少年兵であり、美談に群がるマスコミというオマケを引き連れていた。絶対に術死は許されない。30例のカルテを読み解き、チームの全てのメンバーとスケジュール調整をして、顔を合わせて行く。

 医療ミステリーという物(ジャンル)があることは知っているが、特に好みのジャンルと言う訳でもなく、今まで読んだことはなかった。だから、これが生まれて初めて読んだ医療ミステリーだが、門外漢の私にも解るのは、これはたぶん医療ミステリーとして成功している以前に、まずユーモア小説、人間観察小説として大きな成功を収めているであろうということ。
 なんでも著者は厚生省(現厚生労働省)のトンチキ方針に声高に反対を叫んでも押し切られるだけだから、世論を動かそうと文筆に手を染めたという「確信犯」らしい。そういう出自を持つ小説だと思ってみて眺め直してみて見ても、なかなか面白い。
 田口公平という男は、非常に頭が良く、良すぎるが故に嫌いなことを全力を持って回避した結果、出世と縁遠い所に平穏を見つけたという変わり者だが、人間観察の目が鋭い。しかし、田口だけでは探偵役として史上最高の手術チームに潜む悪意を炙り出すことは不可能だった。著者はここに、白鳥圭輔というの規格外の役人を用意した。白鳥は厚生労働省の大臣官房秘書課付技官。とはいえ、偉いのではない。無駄なお役人様の付き合い残業を笑い飛ばしたら、翌日から仕事場の机が無くなり、私物箱を持って庁内を、今日は資料室、明日は喫煙室と転々と渡り歩いた挙げ句、結局大臣官房秘書課という窓際部署に追い遣られたのだ。だが、肩書きが肩書きなので外に対しては地位と権限がある(用に見える)。それを悪用して、特に職務がないのを良いことにいろいろと好きな勉強にうつつを抜かしていたという、厚顔無恥な変人官僚。彼が得意とするのは、その精神的タフネスさと底意地の悪い観察眼に基づき、相手の心の一番もろい部分を強打して、反応の端々に浮かぶ本質を掴み取る。白鳥命名するトコロの「アクティブ・フェイズ」だ。白鳥は田口の調査を「模範的なパッシブ・フェイズ」と呼び、パッシブ(受動的)・アクティブ(能動的)の表裏でもって、問題の本質を洗い出せると言い放つ。
 上下巻の下巻に入ったとたんに現れたこの傍若無人な男により、田口は一生でもそう無いほど振り回されることになる。そして、次第に医療過誤の可能性が消えて行き、陰影のように浮かび上がってくる悪意。そして、その単純と行っても良いほどの悪意を覆い隠してしまっている、チーム内の各構成員間の思惑、秘密、エゴ、善意。

 医学の英知が集まる大学病院にありながらも、人々は、「手術中に術死させてしまった患者の遺族に原因解明のため遺体の解剖検査をさせてくれとは言えない」とか「あの人より私の方が優れている」、非常に人間的な理由で事件の本質を包み込み、簡単に真実に到達させてはくれない。そこに、田口のパッシブ・フェイズが座標を打ち、白鳥のアクティブ・フェイズが大きな衝撃を与えて、漏れ出た波の干渉から真実という像を浮かび上がらせる。
 鮮やかな探偵コンビ。別にホームズとワトソンのような信頼で結びついている訳ではないが、いつしかチームとして機能しているこの面白さは、ぜひ一度味わってみるべきだろう。
 たしかに、このミステリーは面白かった。

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» 読了メモ:チーム・バチスタの栄光 [積読山脈造山中]
 上巻は昨日読み終え、下巻を読んでいるうちに日付が変わってしまいました。  この本は、【神北情報局】で褒められていたのを見て、読もうかなと思ったのです。病院内の権力闘争を逃げのびて不定愁訴外来の担当に、という主人公の設定に興味を惹かれました。そういえば、【..... [続きを読む]

受信: 2008/02/26 00:43

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