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2008/05/22

静岡ホビーショーだぞ その後

 2008年5月17日、朝から昼過ぎまで歩き回った静岡市市街を離れた塩坂くんと神北は、駿河湾岸の新しく気持ちのよい道を東進していた。と……、

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久能山東照大権現参道

 静岡県には東照宮がある。当然のことなのだが、これが本家本元。場所は静岡市外の東、静岡の平野の中に地質学的長期にわたる風雨浸食からボッコリ と残った浸食台地久能山。2008年5月17日午後、静岡市から湾岸道を東進していた我々は、「ちょっと家康さんに挨拶してくかァ」と軽い気分で参詣を決 めた。

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別格官幣社東照宮の碑

 東照宮は、本来、徳川家康公を東照大権現として神格化するために作られた江戸初期の極めて人為的に作られた聖地の一つ。当然のように日本の古刹古社のならいとして、神仏併拝の宗教センターだった。しかし明治維新の廃仏毀釈により、社領内の寺院の多くが神社に置き換えられた。ここいらへんの経緯は、修験道の聖地だった戸隠神社などと同じだ。とはいえ、徳川家は明治以降も華族の名家として存続している。それもあってか、家康公の墓である東照宮は、明治20年に別格官幣社として明治政府から高い格付けをされている。これは、それを記した碑。

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一の鳥居

 ちなみに、鳥居の貫下くぐりの上の方にちらりと見えている門が、一の門。ここまでの表参道が苦しい。

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久能山鳥瞰図

 平野の中に完全に独立した小高い山で、しかも北側は切り立った崖。基本的に南面からの道を登る以外に登頂路はなく、家康の墓が置かれる以前には、武田信玄が砦を築いていたというのも頷ける話。

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久能山徳音院

 家康高ゆかりの寺、

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徳音院の脇にある古いお堂

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お堂に居るたぬき

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表参道石段

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表参道石段

 もうそろそろ、全てがどうでも良くなっている。

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見晴らしが良い

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麓に置いて来た塩坂号が小さく見える

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一の門からの見晴らし

 この一の門から中が社ということになるらしい。ここ付近には、開閉の門限が書かれ、閉門後は猛犬を放つので、ちゃんと時間内に帰れと書かれている。またここから傾斜の角度が若干緩やかに変わるため、今まで結構見えていた麓や海が、あまり見えなくなる。ちなみにこの日は空が薄く霞んでいて、水平線は奇麗には見えなかった。

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門衛所

 江戸期には、ここは与力が詰めた番所で、参拝者を制限していたそうだ。ちなみに、貴重な史跡として修復保存されている。

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勘助井戸

 武田の砦だった頃、軍師山本勘助が掘らせたという井戸。たしかにここは守るに堅いが、水に苦労しそうな砦だけに井戸は重要戦略機構の一つ。

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観光用の駕篭

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楼門

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楼門左若武者

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楼門右老武者

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楼門狛犬阿

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楼門狛犬吽

 この楼門は、前面(外向き)である南面に弓矢を構えた武者が二人居り、裏側(門の内側)に狛犬が居る。この、外敵から神域を守る聖獣が何故か内側ににらみを利かせている所が、この久能山の謎の一つであり、伝奇小説なんかでキモになる所。

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1159段

 拝観料を支払う社務所付近にあった看板。だが、全1159段ではなく、本殿からさらに奥にある神廟まで、もう一踏ん張り階段は続くのである。

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本殿に真直ぐ伸びる階段の先に見える唐門

 この階段は、将軍しか登っては行けないとか何かあるのだろうか、普段は登れないように道に封がされていた。登拝者は右に道を折れ、神庫の脇から本殿の右横にある日枝神社へと登ることになっている。

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神庫

 本殿右の日枝神社から脇の門を入って本殿へと至り、そのまま左側を奥に進むと、さらに石段が続き、神廟へと至る。

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本殿左脇、神廟への通路

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神廟

 これが、なにかというと伝奇小説に登場する、久能山神廟。家康公の墓。しかし、これは頂上ではない。一般参拝者は入れないが、更に上、本当の頂上には、別の神社が置かれているそうだ。

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神廟所の周囲の石造りの欄干

 この石造りの欄干は、大になっている部分から欄干の柱・手すりにいたるまで、全体を横に倒した梯子状の部品として一つの石から削り出したものを並べて作られている。残念ながら最近修復された山側はこんな凝った細工はされておらず、別の部品で作られているが、海側の手すりは古い物が残っている。

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拡大図 確かに継ぎ目がない

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再び唐門

 神廟から本殿を越え、やっとここまで下りて来た。しかし、更にずっと下まで、また地獄の石段が待っているのだ。しかもこの石段。石段というほど奇麗に整えられてないんだな。ふぅ。

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清水市内で遅い昼飯

 更に東進して清水市内にたどり着いた我々は、随分遅い昼飯を求め、エスパルス・ドリーム・プラザの清水すし横丁へ。とはいえ、観光客狙いなのか、なんだか笑っちゃう値段(10カンで4000円〜5000円とか平気で言っちゃう。ここは六本木か何かですか?)に呆れ果てるが、疲れがピークに達した塩坂くんが「もう、高くても良いって気分になってます」とか言い出しやがった。ぴーんち!(主にオレの財布)

 結局、食事後、さらに少しばかり東進し、駿河健康ランド(信州健康ランドの系列なんだな、これ)で一寝入り、結局、世が開ける頃、塩坂くんに家まで送ってもらってこの旅は終了した。

 お疲れさまでした。

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コメント

あの階段昇ったんですか・・
お疲れさまです
私は修学旅行以降一度も近づいた事すら・・

投稿: N | 2008/05/27 01:27

N さま

 私の高校の修学旅行は、四国の金比羅山でした。あっちも大変でしたが、まだティーンエイジャーの頃のこと。それから30年も経っているので、こっちの方が余程キツかったです。

投稿: 神北恵太 | 2008/05/27 04:25

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