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2008/06/10

偽薬効果だぞ

 がらくたGalleryの6月8日の記事「偽のバス停で認知症患者を救う」が面白かった。

 そんな効果もあったのかと思うドイツからのニュース。ドイツの放送局「ドイチェ・ヴェレ」の発表では、最近認知症の患者が持つ不安を和らげるために、偽のバス停を使うそうです。
 お年寄りの住むホームのスタッフによると、自分が約束の時間に遅れそうだと思っていたり、(もう亡くなっている)配偶者のための夕食を準備中にオーブンをつけっぱなしにしてきてしまったので家に帰らなければと思っていたりする認知症のお年寄りを安心させるために、偽のバス停を設置してそこへ連れて行くんだそうですよ。もう自分の家はないんですよと説明されるよりも、とりあえずバス停で待っていれば良いですよと言われた方がストレスがなくていいということなんだろうね。そのうちに忘れてしまうんだろうからね。

 —— 中略 ——

 グリーンワルトさんは昨年の夏にその為のバス停を設置しました。それは昔の広告や時刻表が載っている古いバス停だったそうです。
 「私たちはバス停を1960年代風に見えるようデザインし直すつもりです。」とのこと。結構効果があるということなんでしょうね。

 なるほど。これはいい方法かもね。

 老人の在宅介護をした事のある人の大半がお分かりだろうが、老人のぼけ症状は、耳が遠くなるところから始まるものが多い。いや、それは厳密には惚け ではないのかも知れない。聞こえ難くなっている耳で聞き取れた限りのコトバやイントネーションから自分の知っている言葉を探して選んでいる。

 ある年、帰省した折りに亡き祖母が、デイ・ケアセンターで作ったという簡単な手芸品を見せてくれたことがある。それは、寄せ絵というのかな、15センチ 四方ほどのミニ色紙を台紙にして、いろんな形のものをくっつけて、花や幾何学模様を作るという、立体張紙的なものだった。接着は、たぶん使い方が簡単で毒性が無く、 手に着いても洗い落とすのが楽な木工ボンドかなにか。で、くっつけていた細かいものは、色とりどりのショートパスタ(マカロニ)だった。チューブ型、巻貝 型、二枚貝型、車輪型、色も小麦生地の黄色いものを基本に緑や赤とバリエーションがある。しかも、何かの間違いで老人が口に入れても安全。なかなか面白い所に 目をつける職員さんがデイ・ケアセンターに居るものだなと感心した。
 「お祖母ちゃん、これマカロニやなぁ、イタリアの食べ物」
と寄せ絵のピースを指差して言ったが、祖母には美味く伝わらなかった。
 「は? くさり屋の食べ物?」
 「くさり屋」というのは、正式には「鎖屋」とでも書くのかな、昔よく使った魚の美味しい店。耳の遠い祖母には「イタリア」が、イントネーションが同じ聞き慣れた「くさり屋」に聞こえたのだろう。で、「イタリア」と大きな声で言っても、いちど「くさり屋」にたどり着いてしまった祖母の耳にはどうしてもちゃんと聞き取ってもらえない。
 ちょっと弱ったが、一計を思いついた。
「日独伊三国同盟のイタリア!」
 その途端、明治末期に生まれて戦時下をくぐり抜けたものの田舎の主婦でしかなかったばーちゃんの顔が、ぱっと明るくなった。
「ああ、イタリア!」
 これで、祖母に、この寄せ絵の部品がイタリアの食べ物である事がやっと伝わったのだ。

 当時、既に90歳、足腰がかなりおぼつかなくなって寝室のベッドの上でテレビを眺めながらほとんどの時間を過ごしていた祖母が、入ってくるところで言葉を聞き取ることは弱っているが、それに意味を与えるところの知識データベースはまだまだ相当に優秀な働きをしている事が判ったのだった。

 若い頃の細々とした記憶というのは、お年寄りたちの頭の中に今もしっかりと残っていて、何か繋がるきっかけがたぐり出してくれるのを待っている。それが甦って来る事は、お年寄りにとっても良い事だと思う。

 この偽のバス停は、お年寄りにとって、本当の思い出の場所ではない。だが、本当の思い出の場所に繋がっていると確信する事で、とても安心出来る場所なのだろう。実際、本当に帰りたい場所は既に売り払われたりして残っていないのだから、そこへ行くバスが来るバス停というのは、ご老人にとって最も「我が家に近いところ」なのだろう。
 プラシーボ(偽薬:何の薬効効果も持たない無害な錠剤)が、「薬を飲んだから大丈夫」という精神的安定をもたらすのと同じだ。

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