« 白馬に行って来たぞ | トップページ | 闘う医療機器?だぞ »

2008/06/03

ワシも長野で考えたぞ

 先日、長野県内をいろいろと走って来たのだが、途中に詣でた善光寺で、いろんなことを考えた。二つほどご紹介。

■宗教的冒涜 その1

 善光寺では、何年かぶりにお戒壇めぐりをした。本堂瑠璃壇の床下に造られたこの真っ暗闇の回廊を、右手を壁に当てたまま一回りする中で、極楽の錠前に触れ、秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際、お迎えに来ていただけるという約束をいただく道場だ。
 流石に梅雨前の晴れた日曜日の午後ということで、真っ暗な回廊の中もディズニーランドの待ち行列のような混み方だ。だが、善男善女が触覚と聴覚だけを頼りに少しずつ進む。その中、極楽の錠前を撮影でもしようと思ったか、なにか「良い考えだ」と思ったんだろう、携帯電話を取り出したバカが居た。見た感じ、二つ折り携帯をぱっと開いたらしかった。闇に慣れかけた目に最近の携帯電話らしいLEDバックライトの青白い明かりが相当に明るく、あたりの人がシルエットで薄ぼんやり見えるではないか。

 「なに?」「明かるいよ?」……ひそひそ、っと声がするが、携帯電話を持ったうすら馬鹿奴は平気の平左。明かりを頼りに、右側の壁に手をつきながら歩いている人々の反対側、進行方向左側の壁際を歩き回っている様子。

 「なにやってんだ、携帯しまえよ」その一言をきっかけに「人が気分良くやってるとこを、何すんだ」「おら消せよ」……たちまち通路のあちこちから数人の鋭い声が飛ぶ。

 最初の二人ぐらいまでは 「あァ?!」とか反抗的な声を上げていた、若い男性と思しき携帯の持ち主も、怒る声が増えるに連れてマズいと思ったのか、無言で携帯電話をしまったようで、明かりはすぐに消えた。

 以降、なにごともなく戒壇めぐりを終えたワケだが、どこの世の中にも馬鹿が居るものである。

■宗教的冒涜 その2

 善光寺の参道は、長野の市外から境内外の門前、大本願の周りの宿坊の立ち並ぶ石畳、仁王門を経て、土産物屋やお憩み処が並ぶ仲見世、駒返り橋を渡り、右手に延命地蔵に六地蔵が立ち並ぶ大きな地蔵尊の列、左手に大勧進を見ながら三門(山門)へと至り、本堂へと伸びている。
 この宿坊の立ち並ぶ中に、白蓮坊という、元宿坊がある。元というのは、今は僧や巡礼者のための宿ではないからだ。ここにむじな地蔵という銅製のお地蔵さまが置かれたのは、何年か前のこと。
 これは、今の千葉県から善光寺参りに来た、ある信心に篤い狢(むじな)が、やっと善光寺まで着き、明日は参内ということで気を許し、ついつい人に化けるのを忘れ狢の姿のまま風呂につかっていたところを人に見られてしまい、殺生をせずには生きてゆけないあさましき己が身を恥じて何処かに逃げ去ったことを不憫に思い、境内に寄進された「狢灯籠」の古民話に倣った、童子姿の地蔵尊と狢の像で、開眼法要もされ、祀られているもの。

 併設するトンボ玉や万華鏡を扱っているショッブが面白いので毎年訪れるのだが、先日あったある騒動で、ここはすっかり有名になってしまった。というのは、このむじな地蔵、仏師で彫刻家の籔内佐斗司氏の作なのである。

 そう、あのせんとくんの作者である。

 もちろん、ちゃんとお詣りしましたよ。せんとくんが、むじなのように己が身を恥じて、どこかに消えてくれますようにって。

|

« 白馬に行って来たぞ | トップページ | 闘う医療機器?だぞ »

コメント

オチが・・・
ないすぅ

投稿: kemo | 2008/06/03 13:28

kemo さま

 なんと奇麗な平城京(710年)から1300年。奈良遷都1300年祭は、どこへ向って行ってしまうのでしょうかねぇ。

投稿: 神北恵太 | 2008/06/03 13:50

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ワシも長野で考えたぞ:

« 白馬に行って来たぞ | トップページ | 闘う医療機器?だぞ »