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2008/08/30

DAICON7 レポートだぞ

 DAICON7に送られている筈の、シール企画の冊子型台紙が、今になって不具合があって刷り直しになったと聞かされたのは、2008年8月21日(木:大会二日前)の、夕刻のこと。
 この時点で、印刷のやり直しを行い、製本し、大阪に送るために運送会社に依頼するのは、時間的に無理。せめて夜の内に作って、22日には手渡せるようにする……というのが印刷屋さんが無理をして出してくれた結論。併せて、東京駅まで持って行きますよという話。
 池田君に連絡を取り、確認。スーベニールの袋詰めは23日午後の予定だと云う話を貰う。昼といっても、12時丁度から始めるというワケではないから、 10時か11時に東京駅で受取、望みで2時間半で新大阪。そこから1時間チョイ見て、最短で2時か3時になりそうだが良いかという話を確認。「んー」と唸 られた後、「わかりました。じゃ、それで」と云われる。22日夕方一緒に訪阪する予定だった女房に、事情を話し、神北が先行したい旨を伝え、了承を貰うと ともに、我が家にある最大のコロコロ(荷物キャリア)と同じものを買って来てもらう。ハンドキャリー作戦だ。
 この確認と、その後の大雨で、この日も星雲賞の賞状を刷りに行けなかった。この木曜日の深夜に、車で荷物を運ぶ塩坂君が家までパソコンを取りに来てくれる予定だから、明日、その場でエラーが出たら、星雲賞の賞状が刷れないことになる。
 星雲賞の賞状のファイルは、Adobe Illustrator CS3 形式のデータで、安全性を取ってフォントはアウトラインを取っているので、文面にエラーが見つかっても編集は出来ない。最悪の状態をいくつかの方法で避け るため、まずは、アウトラインを取る前のデータをDVD-Rに焼いたものを、第一の策として荷物に入れる。次に、最悪、22日(金:大会前日)夕刻か23 日(土:大会一日目)に大阪市内の出力センターで出力できるように、大阪市内~関空の出力センター関係を、ネットで検索、良さげな店をピックアップしよう とぐぐる。
 ところが、産業構造が違うのか、東京だとデータを紙に落とす出力センターが山のように出てくるのに、大阪だと、カッティングシートに好きなデザインを切り出す系統の出力をしてくれる塗装屋が、多く出て来る。
 出版・広告関係の産業がいかに東京に多いか判るが、判っても嬉しくない。取り敢えずキンコーズなどを調べだしておく。

 深夜、塩坂君到着。本来は古市くん・山田くんが同乗の予定だったが、古市くんと、これまた別ルートの飛行機をキャンセルした安達くんが、新幹線ハンド キャリー作戦に参加してくれることになったので、山田くんと二人旅だと云う。荷物にも余裕があるというので、我が家のプリンタを運んで行ってもらうことに する。徹底的に微調整して、葉書サイズのシール用紙を1歯(1/4ミリ)もあやまたずに打てるようにセッティングしたiMacとMP950の組み合わせで ある。この判断は当日、功を奏した。
 しかし、降り出した雨の当たる中、見送ろうと待っている神北夫婦と一人だけ先に助手席に座るのもどうかと待っている山田くんの前で、おもむろにMixiのエコーを始めるのはどうか? (^_^;)
 なんとか塩坂ノワール号を送り出した後、最後の情報収集を済ませ、とにかく寝る。

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『完本太陽の牙ダグラム』が出たぞ

あると  一迅社より、完本太陽の牙ダグラム』が出る。
 神北宅には、今、編集部から見本が届いた。店頭にも、早ければ既に、遅くとも週明け早々から並び始めるだろう。
 思い起こせば、企画立ち上げは昨秋のことだった。秋・冬・春・夏と、艱難辛苦の雌伏一年。(まぁ、そのウチ半分は、判断・裁定待ちだったりする訳だが……。)遂に、完成し、出版の運びと相成った。

 設定に関しては、劇場版に至るまで、現存するものを全て精査、メイン・メカ、メイン・キャラクターの網羅は当然として、各話ゲスト設定没設定に至るまで徹底精査の上、紙幅の許す限り収録した。また、複雑に登場人物たちが絡み合う、重厚にして骨太なストーリーにも、充分な紙幅を割き、端々に見え隠れする各人物や組織の利害関係からこの時代の世界観にいたるまでを、徹底解説。そして、高橋良輔監督と設定製作を担当されたサンライズ井上プロデューサーにより、四半世紀の時を経て語られる往時の状況。

 これは、少なくとも今のところ、21世紀唯一の『太陽の牙ダグラム』のムックで、21世紀を通しても、必ずやもっとも熱のこもった1冊(になる予定)である。

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2008/08/08

ちょっと、へこんでいた記録だぞ

 ここ3週間ばかり、ちょいと、身体をこわしてへこんでいた。
 あまり、外に広める事でもないのでmixiのマイミク限定で「こんな感じ」と云う情報を流していたモノを、再編集・加筆訂正し、ここに纏めておく。

 7月、これまで何ヶ月かやって来たムックの仕事を仕上げるため、マシンごとプロジェクトを主管して頂くリーダー格のライター仲間、Kさん宅に運び込んで、DTP作業に入る事になった。
 7月14日月曜日、移動。すぐさま、作業開始。今までデータを貰って自宅で作業して来たInDesignのファイルに、各所から上がって来た修正を反映する作業。これを纏めたものを作品版権を持つ制作会社に見て頂いて、GOを出して貰わないと本にならない。
 作業は順調に進んだが、なんせ量が多い。手練のレイアウターさんに母型を作ってもらったり、色々と下駄を履かせて貰ってはいるものの、生まれて始めてDTPを担当しているから、手探りで進むしかない。
 ずっと籠って作業する事4日目。17日木曜日。なんか、身体が重たい。下半身が怠い感じ。でも、熱がある感覚とは微妙に違う。しょうべんをしてみると、なんか、重い、粘り気というか尿にとろみがある。色が濃い。それが何度かトイレに行くうちに、血尿だと判った。作業場になっているKさん宅を離れ、自宅近くの主治医経由で帰宅。

 原因は、突発的に腎結石が動いたのだろうということ。たしかに超音波画像で見せてもらうと、膀胱内に光る点が見える。
 これが、カルシウム系の結石なのか、尿酸結石なのかは不明だが、とにかく、出血の物理的原因は判明。「若さと体力から云ってすぐに常体復帰」といわれて医者から帰るが、流石にその日は痛さが残る。
 翌7月18日金曜日、昼には既に既に出血は治まり、だるさは残るものの安定していた。Kさんから「4日間徹夜続きで朝方チョイと寝るだけ、流石に根詰め過ぎだバカヤロウ、少し休んで来い(意訳)」との暖かいお達しを戴いたので、折角空いた一日、ちょっと体を休ませることに。
 この日、午後まで割と調子よく過ごした。濃厚ブドウジュースのようであった我が小便は次第に通常の色に戻り、調子いい感じ。夕方、仕事を終えた女房が、「帰りに晩ご飯買って帰るけど、何か食べたいものある?」と電話で言って来たとき、「何でも食べれるよ」と答えたものだが……。
 それから女房が帰り着くまでの二時間余りで状況は一転。金曜日20時過ぎには、神北は、38度以上の熱で唸り始めていた。

 既に主治医は閉まっているが、土曜午前中の診療はしているので、明日朝から行けば何とかなるだろう。そう判断はした。
 とはいえ、その朝までが遠かった。夜半、39度超の発熱で、水分を摂って寝て、トイレに起き出しては水分を摂る。この繰り返しを30分〜1時間のサイクルで繰り返し、へとへとに弱って朝を迎えたのだ。その間に、熱の所為か、ふと気がつくと右耳が殆ど聞こえなくなっているっ!!
 女房に引かれるように病院へ行き、看護婦さんの機転で、診察を待つ間億の空いているベッドで横にならせていただく。検尿を行ない、その検査結果に時間がかかったりする中、またベッドで長い待ち。とにかく寝る。
 「神北さ〜ん」と先生が寄って来る。オイラよりそう上ではない年格好の主治医。医者は検査結果を見ながら「……あー、雑菌回っちゃってるねぇ。尿にも、白血球とかでてるよー。」
「はぁ……」やっぱり身体機能やら抵抗力やらが弱っていたか「……そうですか」
「抗生物質で押さえて行くしかないから、前にも出したことのある飲み薬『ガチフロ』、あれで行きましょう。1日2回、朝食・夕食後に服用してもらいます。無理矢理熱とか押さえるより、そちらの方が良いから。あと、抗生物質の点滴打っとこうね。」
「はい」
 ……ってなことで、まずブースターとして200cc程度の小さな点滴を打ってもらい、医院の20メートルほど離れた並びにある調剤薬局の薬を貰い、そのまま帰宅した。
 ちょっと早めの昼食を入れて、薬を飲む。あれ……!? しまった。昼飯に口当たりの良いものをと、ブルガリア・ヨーグルト入れて、そこに食後の薬を飲んでしまった。今頃、ガチフロくんは、ビフィズス菌の沃野を燎原の火のごとく覆い囲み、焼き始めているのでは?
 「逃げてー、ビフィズスくんたち、逃げてー」
 「ガチフロくん! 君の働きどころはそこじゃないですから〜!」
 あとは、寝つつ覚めつつ、水分を補給し、晩飯はウィダーinゼリー。「あんなお菓子みたいなもんひとつでメシ代わりになるかい」と常々思っておりましたが、これ、熱でメンドクセー状態の場合に、なかなか優れた食事法ね。メニュー選ばないと、薬臭くて泣きたくなるのもあるけど。
 後はもうひたすら、水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。

 そのまま土曜日は、39度を割らないまま終わり、日曜日は3食中2食がウィダーinゼリー。そういえば、21世紀の食べ物はチュープに入っているって子供の頃読んだ子供向けの未来予測記事には、必ず書いてあったなぁ。水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。日曜日の夜に入って、38度台が出るようになり、3連休最終日7月21日月曜日になると、朝から37度の声を聞くようになった。やはり食事はウィダーinゼリーを挟みつつ、水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。夜に入ってなんとか37度台、ときどき38度台。
「もう、人間は37.5度まで平熱ってことになりませんかね、21世紀ですし」と俺はおずおずと云ったのだが
「なりません」と世間(布団から見渡せる範囲には女房だけ)は手厳しい。

 かくて、神北の長い長い熱い三連休は終わった。ほぼ布団の中、一時、近隣医院の処置室のベッドで。

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