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2008/08/08

ちょっと、へこんでいた記録だぞ

 ここ3週間ばかり、ちょいと、身体をこわしてへこんでいた。
 あまり、外に広める事でもないのでmixiのマイミク限定で「こんな感じ」と云う情報を流していたモノを、再編集・加筆訂正し、ここに纏めておく。

 7月、これまで何ヶ月かやって来たムックの仕事を仕上げるため、マシンごとプロジェクトを主管して頂くリーダー格のライター仲間、Kさん宅に運び込んで、DTP作業に入る事になった。
 7月14日月曜日、移動。すぐさま、作業開始。今までデータを貰って自宅で作業して来たInDesignのファイルに、各所から上がって来た修正を反映する作業。これを纏めたものを作品版権を持つ制作会社に見て頂いて、GOを出して貰わないと本にならない。
 作業は順調に進んだが、なんせ量が多い。手練のレイアウターさんに母型を作ってもらったり、色々と下駄を履かせて貰ってはいるものの、生まれて始めてDTPを担当しているから、手探りで進むしかない。
 ずっと籠って作業する事4日目。17日木曜日。なんか、身体が重たい。下半身が怠い感じ。でも、熱がある感覚とは微妙に違う。しょうべんをしてみると、なんか、重い、粘り気というか尿にとろみがある。色が濃い。それが何度かトイレに行くうちに、血尿だと判った。作業場になっているKさん宅を離れ、自宅近くの主治医経由で帰宅。

 原因は、突発的に腎結石が動いたのだろうということ。たしかに超音波画像で見せてもらうと、膀胱内に光る点が見える。
 これが、カルシウム系の結石なのか、尿酸結石なのかは不明だが、とにかく、出血の物理的原因は判明。「若さと体力から云ってすぐに常体復帰」といわれて医者から帰るが、流石にその日は痛さが残る。
 翌7月18日金曜日、昼には既に既に出血は治まり、だるさは残るものの安定していた。Kさんから「4日間徹夜続きで朝方チョイと寝るだけ、流石に根詰め過ぎだバカヤロウ、少し休んで来い(意訳)」との暖かいお達しを戴いたので、折角空いた一日、ちょっと体を休ませることに。
 この日、午後まで割と調子よく過ごした。濃厚ブドウジュースのようであった我が小便は次第に通常の色に戻り、調子いい感じ。夕方、仕事を終えた女房が、「帰りに晩ご飯買って帰るけど、何か食べたいものある?」と電話で言って来たとき、「何でも食べれるよ」と答えたものだが……。
 それから女房が帰り着くまでの二時間余りで状況は一転。金曜日20時過ぎには、神北は、38度以上の熱で唸り始めていた。

 既に主治医は閉まっているが、土曜午前中の診療はしているので、明日朝から行けば何とかなるだろう。そう判断はした。
 とはいえ、その朝までが遠かった。夜半、39度超の発熱で、水分を摂って寝て、トイレに起き出しては水分を摂る。この繰り返しを30分〜1時間のサイクルで繰り返し、へとへとに弱って朝を迎えたのだ。その間に、熱の所為か、ふと気がつくと右耳が殆ど聞こえなくなっているっ!!
 女房に引かれるように病院へ行き、看護婦さんの機転で、診察を待つ間億の空いているベッドで横にならせていただく。検尿を行ない、その検査結果に時間がかかったりする中、またベッドで長い待ち。とにかく寝る。
 「神北さ〜ん」と先生が寄って来る。オイラよりそう上ではない年格好の主治医。医者は検査結果を見ながら「……あー、雑菌回っちゃってるねぇ。尿にも、白血球とかでてるよー。」
「はぁ……」やっぱり身体機能やら抵抗力やらが弱っていたか「……そうですか」
「抗生物質で押さえて行くしかないから、前にも出したことのある飲み薬『ガチフロ』、あれで行きましょう。1日2回、朝食・夕食後に服用してもらいます。無理矢理熱とか押さえるより、そちらの方が良いから。あと、抗生物質の点滴打っとこうね。」
「はい」
 ……ってなことで、まずブースターとして200cc程度の小さな点滴を打ってもらい、医院の20メートルほど離れた並びにある調剤薬局の薬を貰い、そのまま帰宅した。
 ちょっと早めの昼食を入れて、薬を飲む。あれ……!? しまった。昼飯に口当たりの良いものをと、ブルガリア・ヨーグルト入れて、そこに食後の薬を飲んでしまった。今頃、ガチフロくんは、ビフィズス菌の沃野を燎原の火のごとく覆い囲み、焼き始めているのでは?
 「逃げてー、ビフィズスくんたち、逃げてー」
 「ガチフロくん! 君の働きどころはそこじゃないですから〜!」
 あとは、寝つつ覚めつつ、水分を補給し、晩飯はウィダーinゼリー。「あんなお菓子みたいなもんひとつでメシ代わりになるかい」と常々思っておりましたが、これ、熱でメンドクセー状態の場合に、なかなか優れた食事法ね。メニュー選ばないと、薬臭くて泣きたくなるのもあるけど。
 後はもうひたすら、水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。

 そのまま土曜日は、39度を割らないまま終わり、日曜日は3食中2食がウィダーinゼリー。そういえば、21世紀の食べ物はチュープに入っているって子供の頃読んだ子供向けの未来予測記事には、必ず書いてあったなぁ。水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。日曜日の夜に入って、38度台が出るようになり、3連休最終日7月21日月曜日になると、朝から37度の声を聞くようになった。やはり食事はウィダーinゼリーを挟みつつ、水飲んで寝てトイレ行ってきては寝て……。夜に入ってなんとか37度台、ときどき38度台。
「もう、人間は37.5度まで平熱ってことになりませんかね、21世紀ですし」と俺はおずおずと云ったのだが
「なりません」と世間(布団から見渡せる範囲には女房だけ)は手厳しい。

 かくて、神北の長い長い熱い三連休は終わった。ほぼ布団の中、一時、近隣医院の処置室のベッドで。

 2008年7月22日火曜日。やっと熱がひいて、前夜ほっと眠れたのは良いとして、なんせ4日間、布団とトイレの間以外どこにも行かずに唸っていたため、この日の朝になって、金曜日朝から丸4日ぶりに風呂にシャワーを浴びた。
 中耳炎でも併発したか、右耳の聞こえが悪いものの、これでやっと社会復帰出来る。実質、土日祝の3連休のおかげで、営業日的なショートもなんとか木・金 曜日の2日、しかも、木曜は昼まで働いているのだから、実質1.5日に押さえ込めたと思えば、長く寝込んだワリには割とコンパクトに押さえ込めた。
 身体を洗うとさっぱりする。まずは女房と朝飯。その後、出勤する女房を見送り、医者の開く時間を待って、まずは主治医のところへ飛んで行く。土曜日、 39度の熱の中でふらふらになりながら、女房に引っ張ってもらってなんとかやって来たことを思えば、4日の熱と食欲減少でマトモにモノを食ってなかったと はいえ、なんとかちゃんと歩けるだけましだ。
 看護婦さんにも、受付の事務の人にも「熱どうですか?」と聞かれる。「なんとか、きのう夕方やっと平熱に戻りました。前日までは38〜39度でしたけどね」と答える。
 先生にも同じことを話す。検尿の結果からも、あらかたこの戦争「勝った」らしいことが判ると告げられた。しかし、敵の放った第五列がまだどこかに潜んで いることは明らかなので、あと何日分かは抗生剤を飲みなさいという話。ガチフロくんの戦いは続く……と云うか、朝食時に少しのヨーグルトを食すと云う、我 が甘美な風習の復活は、もう少し先になりそうだった。
 その日はそのまま仕事場になっているKさん宅に。放り出していた作業が待っている。

 さてさて、右耳のことである。
 耳鼻咽喉科に行ったのは連休明け2日目の7月23日水曜日。中耳炎の炎症を起こしているのだとしたら、熱が引いてちょっと待ってからの方がよかんべやと思って通院を一日あけたのだ。
 僕だけでなく、多分主治医もそうだと思っていたし、その主治医が教えてくれた「このあたりで一番、僕が『見立てが素直だ』と思う耳鼻科医」と教えてくれ た耳鼻科の先生も最初はそれを疑った『熱に拠る中耳炎』。しかし、実際耳鼻科で、耳内カメラを耳に通してみると、様相は全くこの予測とは違っていた。
 まず、健康な例として、自分の左鼓膜を見せて貰った。日にはさらされていないが、自分の肌色をしている。で、ついに右耳。右鼓膜は……真っ赤に炎症起こすこともなく、貼れることもなく、左鼓膜と全く変わらぬ様子で穴の底にあった。
「じゃ、この鼓膜のさらに内奥で炎症起こしている訳じゃないんですね?」
「そう、中耳炎で腫れた所為で振動が伝わり難くなっているのでは、ないね。じゃ、まずはどのぐらい聞こえ方が違うか、計測してみましょう」
 と云われて、小さな人一人座れるサイズの防音室に入れられた。「防音室」といっても、ベニヤと集音材で作った木の箱。空調はないから、座って蓋を閉めると、それだけで汗が噴き出す。
 両耳、右耳、左耳、それぞれに音を流して、「聞こえた」と思ったらボタンを押す。簡単な音感ゲームのようなもの。結果はあからさまに左が優秀で右が劣っている。 音の高低に選って成績にはムラがあるが、ほぼ10:07ぐらいだろうか。

 「神北さん、これ、アレだね。中耳の炎症とかの物理的な症状は見当たらず、でも、左右の耳にかなりの聴覚差が見られる。ほら、高音の方はわずかに良い が、下から上まで同じように一目で分かる程、右が低いでしょ」……と、検査結果をグラフ化されたものをてに、医者が話をしてくれる。
「ええ、このおかしくなっている右の耳元で、セロファン越しに音がしているような、スピーカーコーンが割れて外れたラジオが喋っているような、高音だけが取り出されて強調された『めやめやめや』ってドナルドダックみたいな声が聞こえて来るんですよ」
「ちょっとでも聞こえるところが強調されるからね」
「はい」

「ん。じゃ、これは神経だね」
「神経?」
「うん。耳自体じゃなく、信号を送る神経が弱っているんだ……突発性難聴」
「はァ……」

 なんてこったい! 効かないクーラーの修理を頼んだら、「実は原因は、クーラーの機械本体ではなく、壁の中のパイプスペースが老化している所為でした。 屋内配管をやり直さないといけませんよ」と、全然違う原因を指摘された気分。でも、この屋内配管、やり直せるものなのか?
 医者は続ける。
「で、治療なんだけどねぇ」
「はい」
「いい薬があるから、使って行こうと思うんだ。ステロイド系なんだけど、プレドニンって言ってね。」
「はい」(え? ステロイドなんですか。短期で終わらせてね。)
「これ、変な薬で、最初今日はもう昼と夕の2食だけど今日を入れれて3日間、3食後2錠ずつ。次の2日間は朝昼2食の食後2錠ずつ。次の2日間は朝昼2食の食後1錠ずつ。最後の2日間は朝食後だけ1錠ずつ。9日で終わるから、終わる31日にでも、もう一度来て」
「はい、わかりました」
「あと、運動は出来るだけ避けて安静を保つこと。デパートとかの長い買い物はしないこと。入浴は短時間、出来ればシャワーで済ませること。右耳で大きな音 を聞いたり、響く音を聞かないこと。耳栓買って付けると良いですよ。さらに、治療が終わって聴力が回復しても、2週間ぐらいは同じように右耳を保護して ね」
「はぁ、じゃ、約ひと月がかりの治療ってことになりますね」……と、8月23〜24日に大阪である日本SF大会までの残り期間を計算している……。
「そうだね。がんばって」

 いや、頑張れないから……っ!!

 という訳で、右耳栓をすることに。食事していると、自分の咀嚼音とかを右耳が拡大して拾うから、左耳はかなり集中しないと、周りの会話に置いていかれる。一対一で話していてもだ。
 歩いていても、アカラサマに視線外方向からの自転車の音に気付かなくなっている。これでは、ここしばらくの車の運転なんて無理。一番怖いのは、SF大会 で過去にあった、爆発音を立てるような企画かな。(過去に特撮の弾着などをやって見せる企画があって、隣の企画で子供が泣き出した事があるのだ)

 しばらくは、守りの人生だなぁと思う7月23日。ここから暫くは、いつもの尿酸値を下げる薬に足して、内科医から貰った抗生物質と医者から貰ったステロ イド製剤を飲みながら、さすがに泊まり込んで無理をする元気は出ないので、Kさん宅に日参、DTP作業を続ける事になった。
 だが、なんだか、耳栓をしているうちに、あまり右耳が聞こえなくなって来た気がする。ジワジワジワっと蝉が啼くようにいろんな音の高音部だけ聞こえていたものもぴたりと止まっている。
 かくして、2008年7月31日。医師の指示に従ってステロイド薬をすべて飲みきった9日目。再び近所の開業耳鼻科医を訪れた。
 またもやあの蒸し暑い防音室で耳のチェック。結果は10:05以下に、右耳の聴力が落ちている事が判る。
 「これは、あなたにはプレドニン錠によるステロイド治療は効かなかったと云う事ですね。」
「他に、二の矢三の矢というのはあるんでしょうか?」
「うん、突発性難聴の場合、原因もメカニズムも解明されてなくて、“比較的ステロイド剤治療が効く”ということだけ、経験から判っているんだけど、効かな いとなると、まずは『もっと濃いステロイド剤』かな。点滴治療なら、直接血管に薬液を入れられるから、経口錠剤より濃いんだよ。大きな病院で治療を受ける んなら、紹介状を書くよ。駅前の大病院と、もっと向こうの市民病院と、どっちが良い?」
「あ、他の科にかかった時の診察券持ってるんで駅前の大病院にして下さい」

 仕事に行かないといけないので明日以降に訪ねようかと思うと云ったところ、耳鼻科医に、「早い方が良い。いまなら、まだ午前中の診療時間に潜り込めるよう、紹介状を書いて転院の電話連絡したげるから、すっと診て貰える。明日だと新患受付に自力で並んで初診から入る事になる、どーする?」と脅される。この 駅前の大病院。もう大病院病というか、ひたすら患者(特に新患)を待たせるところなので、スっと行けるなら今行くしかない。かくして駅前の大病院の耳鼻科 へ、紹介状を携えて即日転院。
 電話のお陰で、診療時間を外れていたがすぐ診て貰える。医師と面談し、経過を話す。まず、検査と云う事になって、防音室へ。でも、流石大病院。防音室は、ちゃんと空調の利いた涼しい部屋だった。
 結局「一縷の望み」ということで、濃い薬液を直接血管に流し込むことが出来る点滴治療に切り替えて貰えることになったが、医師からは、これまでの経口錠 剤の結果の悪さから「あなたにステロイドは効かないのかもしれない。でも、どうしてもというなら、やってみてもいいけど、どうします? どうしてもやって みる? やってみたい?」というテンションの低い反応。
 「でも、他に代替治療法はないんでしょう?」と問うと、「そうだ」という反応。
「じゃ、やってみましょう。幸いまだステロイドの副作用が何かあるわけでもないのだし」
ということで、1週間ほど、毎日駅前の大病院で点滴を受けることになる。その日は早速1本目。200mlに2時間ほど掛かる。

 普通は昼ぐらいまでにKさん宅に入って仕事をしていたのだが、この日は、こうした騒動のために遅れに遅れて、出勤が3時近くになった。いや、別にタイム カードや出退勤時間がある訳ではないのでなんということはないのだが、途中で一応報告として、Kさんに「ステロイド錠剤の治療が効かなかった事」「転院 し、点滴治療に入った事」を報告しておいたところ、到着までに、プロジェクト全体を差配するKさんがあちこち手を尽くして、「今抱えている最低限の作業が 手を離れた時点で神北の仕事を全部別の人に引き継ぐ」と云う判断をして下さっていた。結果、新たに良く知ったDTPのプロに入って頂き、神北は全部の仕事 から1日2日で至急離脱させて貰えることになった。「命より大事な締め切りはない」という先達のお言葉を聞けと諭される。
 「安静にせよ」と云われながらも仕事の手を休められなかったところをこの決断できっぱりと仕事と切り離して頂けたのが救われた。ありがたい。
 そして、突発性難聴という病気自体が複合的で不明な理由に拠る症状だけに、何が有効に働いたのかは判らないが、この判断以降、徐々によい変化が訪れ始めた。

 翌8月1日金曜日。点滴後、残務処理のためやはりKさん宅へ。神北の作業を引き継いで頂くF社U社長に、データをそっくりお渡しする。これで、この後神北側で直しが入って渡しきれない分に関しては、USBメモリ等でお渡しすると云う方向で検討。
 Uさんには、神北が会社を辞めて上京し、創立時のらいとすたっふに居た頃、銀英伝ファンクラブの関係でお世話になっていたのだから、もう17〜18年の お付き合いになる。常に前向きで実に頼りになる編集者。じつは、U社長もこの冬、突発性難聴で1ヶ月間片耳の聴力を失っていたんだそうな。Uさん曰く 「こーなったら、リタイアして後は人生楽しもうかと思ってたんですがね、治っちゃって……」うーむ。前向きだ。(^_^;) Uさんの勝利のカギは、知り 合いの整体に通いまくった事だったらしい。やはり、血流がよくなると神経の通りが良くなるのだろうか。
 ちなみに、この点滴2日目にして、右耳の奥の方で自分が喋る声の一部が、たまに響くようになった。少し聴力が返って来た感じ。ただ、耳元で親指と人差し 指の爪をぶつけツツツツツと鳴らしてみても、左耳では聞こえるのに右耳では音がしない。まだまだ、余程いい状態の時にちっとだけ聞こえる程度。つまり、ほ ぼ聞こえない状態らしい……。

 8月2日土曜日。土曜日なので駅前の大病院の夜間休日診療で点滴。ここの夜間外来は、早い話が救急医療なので、外科に隣接しており、基本、外科の看護婦さん。同じ量の点滴なのに、1時間15分で終わる。外科は荒っぽいのか?
 点滴の後、近所で開業している内科主治医に報告を兼ねて、そもそもの発熱の発端となった雑菌感染の終了宣言をしてもらいに通院。検尿の結果、雑菌も白血球ももう全くないとのこと。ガチフロ(経口抗生剤錠)とのお付き合いが終わった。薬が減るのは嬉しい。
 その後、床屋に行き、昼飯を喰ってからKさん宅へ。昨日からの残務処理。プラス、家のマシンへ必要なデータを移す仕事。Kさん宅に運び込んだのは神北のメインマシンだから、毎月の定番仕事とかの、ここ1週間や10日で必要になる分は持って帰っておかないとマズい。
 Kさん宅で作業中、大あくびをして、横にズラした顎がカクンと鳴った時、右耳に「びぃ〜〜〜〜〜〜〜ん!」と金属的な音が響いた。ん? なんだこのバ ネ仕掛けの金属を弾いたような共鳴は? いや、それより、今、右耳で聞こえた? 急いで右耳にずっと填めている耳栓を取り、昨日と同じように爪を打ち鳴ら してみる。上のオクターブのG(ソ)の音ぐらいでツツツツツツと爪が鳴る音が聞こえる。左耳で聞くと同じオクターブのC(ド)の音ぐらいの音程なので、や はり低い音は落ちているようだが、取り敢えずなんだか音が聞こえていることは確かだ。 状態としては、7月22日に音が聞こえなくなったといって耳鼻科の 門を叩いた日と同じか、少しまだ低い程度までぐらいまで戻せたと思う。耳栓を外すと周りの音が、スピーカーコーンが破れた『壊れかけのレディオ』状の音が ビビビビ、ビビビビと聞こえている。 あと、ホワイトノイズといえばよいのか、耳のすぐ横に水の流れている水道管が置かれているようなシャーという耳鳴り は続いている。それだけしか聞こえなくなっていた何日間と違い、他の音も聞こえるだけたぶん快方に向かってはいるのだが……。
 とりあえず、聞こえかけのノイズがまだ少々五月蝿いので、耳栓はしておく。しかし、駅の放送等のしっかりした声は、耳栓を通して一部入って来る。うむ。悪い感じじゃない。
 8月3日日曜日。やはり夜間休日診療で点滴。その足で、横浜の整体を訪ねる。先生は居なかったが、しっかり揉んでもらう。
 8月4日月曜日。朝から診察を受け、防音室で右耳だけ測定。確かに聴力は上がっている。駅前の大病院の耳鼻科主治医に珍しいものを見る顔で見られる。そんなにおれが点滴と相性良かったのが珍しいのか?? (^_^;)
 とにかく、一定以上聞こえるようになったところで、耳栓をいつまですべきか相談。開業医の先生は、暫く保護のためしていろと云う意見だったが、転院した大病院の主治医は「慣れるために、もう取っちゃえば」とあっさり。

 その後、毎朝点滴を繰り返しつつ、右耳の聞こえは更に良くなる感じ。ツツツツツツと爪を鳴らしても、左でド、右でレぐらいの音で聞こえるようになって来 た。結局、8月7日木曜日。点滴治療最後の日に計測したところ、左を10として9は聞こえているらしい。検査の数値で言うと、左耳の各波長平均がだいたい 20で、20以上なら健常者と云うところ、1目盛り下の30あたりに右耳の平均が来る感じ。ま、ちょっと劣るけど、道を歩いていて右から来る物音が右から 聞こえて来るのは安心。このまま聴覚が定着してくれれば、安心して車も運転出来るんだがなぁ。

 かくして、ここまで約3週間で、いろんな目にあったが、なんとか生きている。随分、このBLOGも間が開いたので、生存報告と、もし今後、突発性難聴にかかる人に何か参考になるように、とにかく書き残しておく事にする。

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