たしかに我々の青春は「『で』か『す』か『ち』」にあったぞ。
1987年秋から89年夏。我々は、第28回日本SF大会ダイナ☆コンEXの準備のために走り回っていた。思えばもう20年以上前のことである。
1961年生まれの神北がだいたい27〜28歳、他の多くは自分より若い仲間、そして、何人もの経験豊富な先輩達。直接実行委員会入りはしなかったが、色々と手伝って動いてくれた人々。当時、名古屋で神北が望みうる最高の布陣を敷かせて頂けた。
で、活動の本拠が必要となり、名古屋駅新幹線口(西口)から800メートルとほど、地下鉄東山線亀島駅から200メートルもない、結構都心に、伝手を辿って激安物件を紹介して頂き、月額4万5千円也で、6帖+4帖半+キッチンという小さめの部屋を借り、実行委員会事務所とした。バブル期の日本に偶然残った、ミョーに昭和中期のニオイを残すマンションで、エレベータは無し。窓用クーラーを買って来てなんとか設置したが、事務用のパソコンとクーラーを一緒に使おうとすると電源が落ちてしまう。どうしようもなくなって大家と中部電力に頼んで電力を30アンペアに上げたのだが、電源工事に来た担当者の人が「こりゃ苦しかったでしょう、今どき15アンペアなんて、普通民家であり得ないですよ」と言っていった。たぶん、住むと言うよりも、名古屋駅に近い拠点として、物を置いたりする用途で借りる人が多く、電気をバンバン使うようなことがなかったんだろうなぁ。
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