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2009/10/28

たしかに我々の青春は「『で』か『す』か『ち』」にあったぞ。

 1987年秋から89年夏。我々は、第28回日本SF大会ダイナ☆コンEXの準備のために走り回っていた。思えばもう20年以上前のことである。
 1961年生まれの神北がだいたい27〜28歳、他の多くは自分より若い仲間、そして、何人もの経験豊富な先輩達。直接実行委員会入りはしなかったが、色々と手伝って動いてくれた人々。当時、名古屋で神北が望みうる最高の布陣を敷かせて頂けた。

 で、活動の本拠が必要となり、名古屋駅新幹線口(西口)から800メートルとほど、地下鉄東山線亀島駅から200メートルもない、結構都心に、伝手を辿って激安物件を紹介して頂き、月額4万5千円也で、6帖+4帖半+キッチンという小さめの部屋を借り、実行委員会事務所とした。バブル期の日本に偶然残った、ミョーに昭和中期のニオイを残すマンションで、エレベータは無し。窓用クーラーを買って来てなんとか設置したが、事務用のパソコンとクーラーを一緒に使おうとすると電源が落ちてしまう。どうしようもなくなって大家と中部電力に頼んで電力を30アンペアに上げたのだが、電源工事に来た担当者の人が「こりゃ苦しかったでしょう、今どき15アンペアなんて、普通民家であり得ないですよ」と言っていった。たぶん、住むと言うよりも、名古屋駅に近い拠点として、物を置いたりする用途で借りる人が多く、電気をバンバン使うようなことがなかったんだろうなぁ。

 当時、駅に向かって事務所のあるビルから300メートルほど歩いたところに、クローバーという喫茶店があった。当時ここは、毎週土曜日になると少なくとも20〜30人のSFファンが集まる店だった。東海圏のSFファン活動の最も大きく最も活動的な中核の一つ「金曜会」。日本でも五指に入る古手のSFファングループ、中部SF同好会ミュータンツクラブの例会だ。初期は本当に金曜日に集まっていたそうだが、すぐに土曜の方が集まり易いと言うことになって日を移し、長年クローバーに定まっていた。1990年代半ばにクローバーが閉店することとなり、今は別の喫茶店に移ってはいるが、金曜会はまだ毎週続いている。

 さて、この事務所、既に社会人だった我々が何人も平日常駐することは難しかったので、主に郵便の送り先、荷物の集積場所、そして土曜の夜「金曜会」終了後や日曜日にまとまって事務作業をするために使われていた。

 で、主に20代の連中が集まっているのだから、腹が減ると、コンビニまで弁当を買い出しに行ったり、ピザ取ったり、みんなで近くのファミレスまで食べに出たりを繰り返していた。
 この時によく使った言葉が「『で』か『す』か『ち』、どれにする?」だった。
 『で』は「デニーズ」、『す』は「すかいらーく」、『ち』は「地中海」。名古屋駅の西側には他に中部圏では和食ファミレスのハシリだった「さと」とかがあったのだが、ここはちと他より値が張ったため、基本は「『で』か『す』か『ち』」が選択肢だった。
 毎週毎週、金曜会終了後の夜10時過ぎから深夜3時ごろまで事務作業やら悪だくみやら、さんざん働いた後、「ハラヘッター」と転がり込んで、バカ話をしたり、バカ話をしたり、バカ話をしたりして、仲間とワイワイやった、当時の我々のひとつの「居場所」だったのだ。

 さて、『[N]ネタフル』に、『日本で最後!閉店直前の「すかいらーく」川口新郷店に行ってきた!!』という記事が上がった。なんでも、すかいらーくグループは、各店舗を「ガスト」「バーミヤン」「夢庵」などに改変していって、ついに最後の1店舗、「すかいらーく川口新郷店」が、明日、2009年10月29日を以て閉店とか。グループ名に名を残しつつ、歴史を閉じるのだ。

 青春の思い出やら蹉跌やら、いろんなものが「すかいらーく」という、SFファンにはとっても心地よい響きのファミリーレストランに結びつけられていた気がする。生々流転は世のならい。諸行無常盛者必衰。とはいうものの、なんだか淋しいなぁ。

 古い旧いファンから、ファミリーレストラン「すかいらーく」に、郷愁と感謝をこめて、お礼を言いたい。

 ありがとう。美味しかったよ。

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