ゾンビがくるりと輪を描くぞ
「娘たち! 死の五芒星だ!」
(ミスター・ベネット)
『高慢と偏見とゾンビ』 (ジェイン・オースティン / セス・グレアム=スミス / 安原和見(翻訳)二見書房 二見文庫 ¥1000(¥952+税)
18世紀、イギリス全土を疫病が覆い尽くしていた。人はそれを、神があの世への門を閉じたため、恩寵を受けられぬ亡者たちがこの世に彷徨い出たものだと噂しあった。墓穴から屍体が甦り、彷徨い歩き、あらゆる動物(といっても、世界最初の産業革命を成し遂げ近代国家へと成長しつつあったこの時代の英国で、一番ありふれていて、鈍重で襲いやすい動物は、人間とそれによって繋がれている家畜たちである)を襲っていたのだ。しかし、屍人たちに襲われ一片の肉も残さずに脳髄まで食い尽くされた哀れな被害者たちは、まだ幸せである。そこまで行かず、屍人の爪や牙に肌や肉を裂かれながらも命からがら生き延びた人には、さらに恐ろしい運命が待っていた。その傷口から入った病は、その人を数ヶ月掛けて生きながら屍人と化し、次第に肉を貪り脳味噌を啜る快楽に強く惹かれるようになり、やがて正気を失ってしまう。そう、ゾンビである。
しかし、こんな災厄の渦中にあるにも拘らず、英国人は常に英国人であり、彼らの生活は、ゾンビとの数十年続く闘いと言う新しい要素を加えつつも、変らずに続いていた。
ハートフォードシャーに住まうベネット家は、結婚23年目の父母の間に、ジェイン・エリザベス・メアリ・キャサリン・リディアの5人の未婚の娘たちが居た。この時代のイギリス紳士たちは、家族と所領をゾンビたちから守るために、日本からニンジャを雇い入れたり、子弟をキョートのドージョーで修行させて、武道を身につけさせるのが常だったが、ベネット家ではこの5人の娘たちを日本ではなく中国へと連れて行き、北京の少林寺のドージョーで武道を身につけさせた。
次女のエリザベスは、そろそろ結婚適齢期の二十歳。美貌でこそ、姉のジェインに譲るものの、考え方も、武道の腕も極めて確かであり、彼女らの父が最も頼りとする戦士であった。ある日、しばらく前にゾンビの群れの襲撃を受けて全滅したままになっていた近所の屋敷ネザフィールド・パークに、新たな住人チャールズ・ビングリーが引っ越して来た。彼を歓迎する舞踏会で、エリザベスはフィツウィリアム・ダーシーという男と出会う。第一印象はお互いに最低であった。
『高慢と偏見』というのは、言わずと知れたジェイン・オースティンの小説だ。18世紀末1797年にFirst Impressionsという題名で書きあげられ、1813年に現在の題で出版された。つまり、今から200年ほど前の小説である。だから19世紀初頭に蒸気機関を用いた鉄道の研究・開発がはじまる以前のイギリス——徒歩と馬車と船以外に遠くに移動する方法の無かった時代——が描かれている。もう適齢期の終わりぐらいに達している長女から、そろそろ社交界デビューしても良い年になりかけて来た末娘まで5人と、その友人たち、周囲の男たちの恋と結婚を描いた小説である。その人気は200年経った今でも高く、この時代から200年間、この5人娘たちは全世界の読者から愛され続けている。また古くは1940年のものから最近ではキーラ・ナイトレーが主演した2005年のものまで、ハリウッドでも度々映画化されている。
『高慢と偏見とゾンビ』は、その、すでに著作権が消失するほど古くから読み継がれた小説を元に、この世界にゾンビという要素を持ち込んだ、いわゆる外挿法で語り直したセス・グレアム=スミスの小説である。いや、スミスの文章は2割程度で、残りは殆どオースティンの文章そのままだという話もあるので、はたしてこれをスミスの小説と呼ぶべきなのかは大いに疑問が残る。版元もそう思ったのであろう、この小説、ジェイン・オースティン / セス・グレアム=スミスと、著者連名となっている。なんとも、200年の時を超えた合作というわけだ。1817年に亡くなったジェイン・オースティンもさぞかし驚いておられる事であろう。
アメリカ版は2009年の4月に発売。後書によると、2008年のある日、編集者が電話をかけて来て「『高慢と偏見とゾンビ』ってぇタイトル思いついたんだがどうだい?」と言われ、スミスの脳裏に閃いたイメージが、ゾンビと果敢に戦う五人姉妹だったそうだ。まあ、それが別に「ええ話やの〜」とは思わないけど……。
しかしこのアメリカ版、この「出オチ」「見たまんま」「ヒネりなさい、ヒネりなさい」としか言いようのないタイトルながら、ミリオンセラーを達成し、7ヶ月後には「ゾンビ分が足りない」という読者意見に合わせ30%(ゾンビ分)増しのデラックス愛蔵版まで発売されたらしい。さらに、ナタリー・ポートマンが自分主演で映画を製作するという話も伝わって来ている。(彼女は、『レオン』のマチルダ役や、『スターウォーズ』第二期(Ep.1〜3)のアミダラ姫などでSFファンにもよく知られる女優だが、自ら映画製作会社を立ち上げ、『サスペリア』のリメーク版などを手がけるプロデューサーでもある。)
まあ、昨2009年4月に出た本が、1年と待たずに二見書房から発売されたのも、この映画まで見込んでの事だろうが……。
しかし意外な事に、社会制度やら平均寿命やら結婚年齢やらが大きく違ったこの日本に於いても、この5人娘たちの『コンカツ小説』(この命名って大森望さんだっけ?)は、非常に共感を呼ぶのではないかという気がする。特に、20%のゾンビの分が、彼女たちの生き方を古き良き200年前のイギリスの平均的子女の暮らしという堅苦しいであろうものから、一気に現代的な価値観へと近づけている気がする。
それが、良い悪いという判断はいろいろあるだろうが、ガハガハ笑いながら楽しんで、文化の違いに呆れる間もなくそこそこ素直に読み進められ、あー面白かったと言うハッピーエンドまで引張ってくれるのは確かだ。骨子となった『高慢と偏見』の部分と、注ぎ足された毒である『……とゾンビ』というアクセントが、なんだか絶妙の混じりあい方を、しているような、していないからこそ良いような、まあ、ナントモナーである……。
とにもかくにも、奇妙な味わいの恋愛恐怖武俠婚活小説。一読の価値はあると思う。
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