伝説の男が40年ぶりに浮かび上がって来たぞ
ダン・クーパー事件と云う伝説的ハイジャック事件があった。今のところ犯人逃亡のまま未解決に終った世界で唯一のハイジャック事件として知られている。
1971年11月24日、ワシントンD.C.発シアトル行きノースウエスト航空11便(ボーイング727機)が、経由地のオレゴン州ポートランドを午後4時35分に飛び立った際、ダン・クーパーという偽名で搭乗した男が客室乗務員に「爆弾を所持していることと身代金20万ドルとパラシュート4つを要求する」旨の書かれた脅迫状を手渡し、隣席に座らせた。別の客室乗務員が機長に連絡、爆弾の存在を訝しがった機長はダン・クーパーの席まで来て真偽を確かめようとしたが、爆弾らしき赤い管と導火線と覚しきものが入ったブリーフケースの中身を見せられて、管制官にハイジャックを宣言。
午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸。身代金およびパラシュートと引換えに、犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放。午後7時45分にシアトルを離陸したハイジャック機は、ダン・クーパーの要求でネバダ州リノに向う。高度1万フィート(約3000m)に維持したうえで車輪を出し、フラップの角度を15度下げて飛行させたダン・クーパーは、離陸後30分と経たない午後8時11分ごろに、機の後部昇降用階段を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。
追尾していたF-106 デルタダート2機は、夜間で視界が利かず、パラシュートは追えなかったが、降下地点から考えて、犯人はポートランドの北約50km、アリエルの郊外に降り立ったと推測された。しかし、当局による18日間の捜索にも拘らず、ダン・クーパーの足取りは杳として知れない。
(Wikipedia情報より神北が補筆・要約)
事件から8年と少し経った1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川付近にキャンプに来ていたある家族が、その時の身代金の一部(20ドル紙幣290枚分)を発見、犯人は川に着水して溺れたか、寒さで死んだのではないかという説が囁かれた。また、用意された4つのパラシュートの内一つは開傘しない地上訓練用ダミーだったので、犯人は墜落死したという説もある。
で、現代の話。時事.com、2011年08月02日の記事『40年前の伝説的乗っ取り犯か=FBI、死亡男性を捜査-米』によると、合衆国当局は、この伝説のハイジャック犯の尻尾をついに捕まえたのかもしれない。
【ロサンゼルス時事】40年前の1971年、米西部上空で飛行中の旅客機を乗っ取り、身代金20万ドルを持ったままパラシュートで脱出、その後行方が分からなくなっている伝説的な怪盗「ダン・クーパー」の身元について、米連邦捜査局(FBI)は1日、約10年前に老衰のため死亡した男性かもしれないとの有力情報を入手し、DNA鑑定に着手したことを明らかにした。AFP通信などが伝えた。 ダン・クーパーはパラシュートで降下した際に死亡したとの見方もあったが、今回の情報が真実なら、事件後30年間生存していたことになる。 FBIはDNA鑑定のほか、男性の家族らの協力を得て、逃亡の際に犯人が機内に残したネクタイピンの指紋との照合も進めているという。 ——後略——事件後、ダン・クーパーがD.B.クーパーという人物ではないかと云うFBI情報が流れたため、D.B.クーパー事件という名称の方が合衆国ではしっくり来るらしいのだが、このD.B.クーパー氏、この件には無関係だったそうな。無関係なのに、40年もの長きにわたり「D.B.クーパー事件」の名で知れ渡っちゃうとは、可哀想だなぁ。 なお、ダン・クーパーの似顔絵は、ここにある。
ちなみに、こういう伝説的事件には多いことだが、AFP BB Newsが今から3年程前の2008年03月29日に『農地で古いパラシュート見つかる、未解決ハイジャック事件の手掛かりか?』という記事を載せている。
米ワシントン(Washington)州クラーク(Clark)の農地でこのたび発見されたぼろぼろのパラシュートが、37年前のハイジャック事件解決の手掛かりになるかもしれない。
米地方紙シアトルポスト・インテリジェンサー(Seattle Post-Intelligencer)が26日報じたところによると、問題のパラシュートが1971年に発生したハイジャック事件の犯人D.B. クーパー(D.B. Cooper)のものかどうか、米連邦捜査局(FBI)が鑑定を行っているという。
本当のダン・クーパーは誰なのか、果たして逃亡後どうなったのか。40年経ってもまだ話題に上る事件。是非とも真相を知りたいものだ。
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