柴野拓美さんが亡くなられた。
年賀状で、年末から肺炎でご入院中と知らされてはいたが、そのまま亡くなられた。1926年生まれ、83歳。
僕自身、柴野拓美賞を2002年に頂いた身でもあり、他の日本のSFファンダムの皆さんと同じく、ファン活動やコンベンションスタッフなどの活動の中で柴野さんにお世話になったことは、数限り無い。
最初にお会いしたのはたぶんダイナ★コンを始める前に参加した、宇宙軍東海ベースの伊勢合宿、1981年か82年のこと。この小さなファン・イベントにゲストとしてお越し頂いたのだ。で、名前を覚えて頂いたのは、ずっと下って1988年。MiG-CON、群馬県水上温泉で開かれた日本SF大会の席上、「来年実行委員長を努めます」とご挨拶申し上げてからのことだ。
アニメ系のライター仕事で一度、池上くんとふたりで柴野さんのインタビューをとらせて頂いたことがある。ガッチャマンの本だったが、タツノコでされた仕事全般についてや、ご自身のお話もいろいろと聴かせて頂いた。軍国少年時代、太平洋戦争中、八高(現金沢大学)時代に、仁科芳雄博士と少しだけ関わりがあり、原子力という新しいエネルギーについて聞かされたこと。初めてタツノコとの付き合いが始まった日に初対面の吉田竜夫さんから「宇宙エースのシルバーリングね、あれって何でしょうねぇ?」と訊かれたお話など、いろいろと聴かせて頂いた。
21世紀に入り、柴野さんの調子が悪いという話をよく聞くようになり、ここ数年は、目、耳共に衰え、SFファンとしての活動も、なかなかし辛くなったと仰っておられた。精力的に回っておられた日本SF大会や地方大会の参加もかなり稀になっていたが、それでも、今年東京で開催される第四十九回日本SF大会には、是非とも参加したいという旨の年賀状を頂戴したばかりだった。
柴野さんの遺灰は、ご本人の希望で宇宙葬なのだと聞く。宇宙葬と行っても、現在のものは安定した衛星軌道までは上がらず、早晩再突入して燃え尽きるものだそうだ。星となり常に見守ってくださるのではなく、この地球を巡る風になり、世界各地のSF大会を見て、微笑んでおられることだろう。
柴野さん、安らかにお眠りください。そして、ありがとうございました。
私たちは、これからも、SFというジャンルと、あなたが始めた日本SF大会というイベント、そして、日本と世界のSFファンの交流を、ずっと続けて行きたいと思います。
2010年1月17日 神北恵太 深い感謝と惜別を込めて
なお、お通夜・お葬式は内々の小さな会場とのお話なので、その他大勢のひとりとしては、遠慮させていただくことにした。
SF大会が続いて行く限り、柴野さんの精神はいつも我々の近くにある。寂しくはない。
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