2013/07/10

酷い話 2題

 日本の社会が、何かおかしい。
 今日、友人の日記などで見つけた、おかしなニュースが2つある。
 一つは、栃木県でいじめアンケートを教師が書き直させた話。
 もう一つは東京地裁立川支部で出た。「三鷹バス痴漢冤罪事件」の判決。

 ちょっと何かがおかしくなっている感のある今の日本の中でも、もうこの二つは完全に「振り幅の範囲」を越えて、社会の規範が壊れかけていると感じる。ちゃんと判断を下すべき立場にいる大人が、ワザと判断を放棄しているとしか思えない。

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2012/04/14

銀河の歴史がまた一幕だぞ

 本日、2012年4月14日(土)から22日(日)まで、舞台『銀河英雄伝説 第二章 自由惑星同盟篇』の東京公演が開催される。(大阪公演は4月28(土)・29(日)の二日。)
 その前日の2012年4月13日(金)、公演初日の前日、東京国際フォーラム ホールCにおいて、公開舞台稽古(ゲネプロ)が行われた。

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 今回は、ゲネプロの前に、ロビーでのフォトセッションと囲み取材の時間が設けられていて、そちらにも参加させて頂くことが出来た。 フォトセッションおよび囲み取材に応じて頂いたのは、河村隆一さん(ヤン・ウェンリー)・馬渕英俚可さん(ジェシカ・エドワーズ)・野久保直樹さん(ジャン・ロベール・ラップ)・大澄賢也さん(ムライ)・雨宮良さん(アレックス・キャゼルヌ)・中川晃教さん(オリビエ・ポプラン)・松井誠さん(ワルター・フォン・シェーンコップ)・西岡徳馬さん(シドニー・シトレ)の8人。
 あまり芝居やドラマ、歌謡界に明るくない神北でも名前を知っている人が多いのに、ちょっと驚いた。というか、尾張大納言徳川宗睦(『殿さま風来坊隠れ旅』)の西岡徳馬さんだよ! ちょいと奥さん!!

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 囲み取材の様子は、多分、土日の情報番組(もしくは月曜朝のモーニングショー)に出ることと思うが、やはり、LUNA SEAのボーカルRYUICHIこと河村隆一さんが主人公ヤン・ウェンリーということで、とんでもない数のマスコミが集まった。河村さんは、以前からの銀英伝のファンだそうで、そうとう前に河村さん自らが是非とも演りたいと名乗り出たのだと言う。もうヤンをどうしても演じたかった人だけあって、先日、原作者の田中芳樹さんと対談したときも、その知識と深い読み込みに田中さんが舌をまくほどのファンぶりだったと言う。

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2012/04/13

『東日本大震災と自衛隊』だぞ

 久々に、自衛隊物を手伝わせて頂いた。
 東日本大震災で、陸海空自衛隊が被災地にいかにして入り、いかに働き、被災者の皆さんを助けて来たかを400通に及ぶ隊員へのアンケートと、著者の長年の自衛隊に対する調査研究を元に纏めた本だ。この中で神北は、大雑把なものだが「どの部隊がどの地区に入ったのか」を自衛隊資料から起こした2葉の地図を寄稿させて頂いた。

 『東日本大震災と自衛隊 自衛隊は、なぜ頑張れたか?』荒木肇(¥1700+税 並木書房)

 日本の社会に根付いた日本の組織である自衛隊が、日本人の資質に基づいた組織作りをし、日本人の心情に根ざした団結力を持ち、日本に降り掛かった大きな自然災害に際して、いかに動いたのか。それを、様々な地域・部署で派垂らした自衛隊員からのアンケートと記録写真から浮き彫りにした一冊。
 神北の地図は、64ページ128枚からなる口絵写真の後、本文直前の6〜7ベージに掲載されている。
 もう、描ける限界に挑戦したような非常に細かい地図なので、ルーペ片手に一度ご覧頂きたい。人員10万6250人、航空機495機、艦艇53隻からなる自衛隊の災害派遣出動の一端なりとも、理解して頂く糸口となれば幸いである。

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2011/08/03

伝説の男が40年ぶりに浮かび上がって来たぞ

 ダン・クーパー事件と云う伝説的ハイジャック事件があった。今のところ犯人逃亡のまま未解決に終った世界で唯一のハイジャック事件として知られている。

 1971年11月24日、ワシントンD.C.発シアトル行きノースウエスト航空11便(ボーイング727機)が、経由地のオレゴン州ポートランドを午後4時35分に飛び立った際、ダン・クーパーという偽名で搭乗した男が客室乗務員に「爆弾を所持していることと身代金20万ドルとパラシュート4つを要求する」旨の書かれた脅迫状を手渡し、隣席に座らせた。別の客室乗務員が機長に連絡、爆弾の存在を訝しがった機長はダン・クーパーの席まで来て真偽を確かめようとしたが、爆弾らしき赤い管と導火線と覚しきものが入ったブリーフケースの中身を見せられて、管制官にハイジャックを宣言。

 午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸。身代金およびパラシュートと引換えに、犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放。午後7時45分にシアトルを離陸したハイジャック機は、ダン・クーパーの要求でネバダ州リノに向う。高度1万フィート(約3000m)に維持したうえで車輪を出し、フラップの角度を15度下げて飛行させたダン・クーパーは、離陸後30分と経たない午後8時11分ごろに、機の後部昇降用階段を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。

 追尾していたF-106 デルタダート2機は、夜間で視界が利かず、パラシュートは追えなかったが、降下地点から考えて、犯人はポートランドの北約50km、アリエルの郊外に降り立ったと推測された。しかし、当局による18日間の捜索にも拘らず、ダン・クーパーの足取りは杳として知れない。
(Wikipedia情報より神北が補筆・要約)

 事件から8年と少し経った1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川付近にキャンプに来ていたある家族が、その時の身代金の一部(20ドル紙幣290枚分)を発見、犯人は川に着水して溺れたか、寒さで死んだのではないかという説が囁かれた。また、用意された4つのパラシュートの内一つは開傘しない地上訓練用ダミーだったので、犯人は墜落死したという説もある。

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2010/10/15

夏の仕事が本になるぞ

 唐突だが、夏からこの秋口まで掛けて描いた、今年やった仕事の中でも地図としてわりと力の入った仕事が、ついに本になって出る。

「文藝春秋12月臨時増刊『坂の上の雲』日本人の奇跡」 10月20日発売

 昨秋出た『文藝春秋増刊 「坂の上の雲」と司馬遼太郎』に続き、 2010年12月増刊号として刊行されるこの本に、高貫布士さんのご協力を得て、カラー地図を7枚ほど描かせていただいた。
 一夏、中国地名、簡体字と格闘し、相当しつこく地点特定を重ねた結果だ。

 わりと、日露戦争について普遍的に眺められる地図になっていると思うので、是非、ご興味がおありの方はご一読下さい。

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2010/03/16

東京都が大変だぞ

 東京都が、狂いかけている。
 政治の歯車が今、おかしな方向に歪み、不要にして有害な回転を加えようとしている。この日記はちょっと長いが、日本で暮らす誰にとってもたいへん重要なことなので、是非最後まで読んでみていただきたい。

 ことは、平成二十二年、つまり今年2010年の年2月24日に提出された、第三十号議案「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」に始まった。この全文は、ここにある。(読みづらいのは勘弁していただきたい。本来これは、提出者や都議会が奇麗に整形して都民に広報すべき議案詳細ではないかと思うのだが、そういう場ではなく、読みに行って複写し、テキストに落とした方がおられて、初めて我々が見ることが出来た文面なのだ。)
 『無名の一知 財政策ウォッチャーの独言』さんが、2010年02月27日のエントリー「番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載」で、既存の条例文に改正案を組み込み、(比較的)見やすいものを作られたので、これもご参照いただくと少しは判りやすいかもしれない。

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2010/03/11

五分の一だぞ

 

毎日jpの2010年03月11日の記事『絶縁体:電気信号伝達 夢の「8割省エネ」』は、夢のある話。

 電気を通さない「絶縁体」の物質に、磁気を使った方法で電気の信号を通すことに、東北大金属材料研究所の斉藤英治教授(物性物理学)らのチームが 世界で初めて成功した。IC(集積回路)チップに使う場合、銅線に比べエネルギー消費量が8割軽減するとみられる。今後、革新的な省エネルギー技術の開発 につながりそうだ。11日、英科学誌「ネイチャー」で発表した。【奥野敦史】

 8割軽減って、もう通常の軽減とか節電とかいうレベルじゃないじゃん。1/5の消費電力で済むということは、(まあ、チップ以外にも部品はある訳で、それが全てに渡って効果を持つ訳ではないが、仮想として全部置換出来るとすると……)電池寿命が5倍、今2時間保つ電池を積むマシンはほぼ一日の勤務時間使い続けて余裕のある10時間連続使用できる計算。今10時間のほぼ半日フルに使えるマシンは、二日間無補給で動かし続けられる事になる。

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2010/03/09

トンネルを歩いたぞ

あると
記念写真用ブース
 すぐ先を、月末に繋がる首都高速3号渋谷線がびゅんびゅん走り抜けるのをバックに記念写真が撮れる。しかしこのブースで撮るために凄い行列ができていた。

 2010年03月07日、日曜日。山手通り(環状6号線)の地下に建設された首都高速中央環状新宿線の山手トンネルの南端である首都高速3号渋谷線への接合点、大橋ジャンクションの一般公開が行われた。
 大橋ジャンクションは、もともと東急玉川線の車両基地、大橋車庫があった敷地で、車庫廃止後は東急バスの営業所として使われていたところ。渋谷の西に上下2連2周のとぐろを巻く長径175m短径130mの楕円形の施設で、この2周の内に、地下36mのトンネルと、3号渋谷線の高架と同じ高さの地上35mまで、高低差71メートルを繋ぐ。概算で8パーセント(100メートル進む時に8メートル上昇または下降する)という、なかなかの急勾配だ。
 中央環状新宿線は2007年12月にまず池袋から新宿までの北半分が開通し、新宿から渋谷までの残り区間はこの2010年03月28日にオープンする。
 だから、この公開が、人が歩いてこのジャンクションに入れる最後の機会となる。

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2010/03/04

またアホな法案が出てきたぞ

 2010年03月03日、連休を分散させる政府原案が、前原国土交通大臣を長とする観光立国推進本部の分科会で示された。たとえば、朝日新聞の2010年03月03日の記事『日本5分割で春秋5連休 政府がGW分散案』によると、こうだ。

 ゴールデンウイーク(GW)などに集中している連休を分散させる政府の原案が3日、観光立国推進本部(本部長・前原誠司国土交通相)の分科会で示された。日本を五つのブロックにわけ、春と秋の2回、週末を絡めて順番に5連休にする案だ。混雑を緩和し、観光需要を引き出す狙いだが、実現には課題が多い。

 政府案では、2回の5連休をつくるために祝日法を改正し、現在の祝日の一部が「休み」ではなくなる。現在のGWや秋の連休もなくなる。具体的には、憲法記念日(5月3日)、みどりの日(同4日)、こどもの日(同5日)、海の日(7月第3月曜日)、敬老の日(9月第3月曜日)、体育の日(10月第2月曜日)の6祝日が「休み」ではなくなる。その代わり、月曜から水曜の3連休を新たに春と秋につくり、土・日曜と連続してそれぞれ5連休にする。

 この5連休をずらして実現するため、「北海道・東北・北関東」「南関東」「中部・北陸・信越」「近畿」「中国・四国・九州・沖縄」の5ブロックに分ける。春の連休は5月の2週目~6月の2週目を対象期間とし、西から順番に連休にしていく。秋は10月の1週目からを対象に、同様にずらして設定する。

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2010/01/17

柴野さんありがとうございます。

 柴野拓美さんが亡くなられた。
 年賀状で、年末から肺炎でご入院中と知らされてはいたが、そのまま亡くなられた。1926年生まれ、83歳。

 僕自身、柴野拓美賞を2002年に頂いた身でもあり、他の日本のSFファンダムの皆さんと同じく、ファン活動やコンベンションスタッフなどの活動の中で柴野さんにお世話になったことは、数限り無い。
 最初にお会いしたのはたぶんダイナ★コンを始める前に参加した、宇宙軍東海ベースの伊勢合宿、1981年か82年のこと。この小さなファン・イベントにゲストとしてお越し頂いたのだ。で、名前を覚えて頂いたのは、ずっと下って1988年。MiG-CON、群馬県水上温泉で開かれた日本SF大会の席上、「来年実行委員長を努めます」とご挨拶申し上げてからのことだ。

 アニメ系のライター仕事で一度、池上くんとふたりで柴野さんのインタビューをとらせて頂いたことがある。ガッチャマンの本だったが、タツノコでされた仕事全般についてや、ご自身のお話もいろいろと聴かせて頂いた。軍国少年時代、太平洋戦争中、八高(現金沢大学)時代に、仁科芳雄博士と少しだけ関わりがあり、原子力という新しいエネルギーについて聞かされたこと。初めてタツノコとの付き合いが始まった日に初対面の吉田竜夫さんから「宇宙エースのシルバーリングね、あれって何でしょうねぇ?」と訊かれたお話など、いろいろと聴かせて頂いた。

 21世紀に入り、柴野さんの調子が悪いという話をよく聞くようになり、ここ数年は、目、耳共に衰え、SFファンとしての活動も、なかなかし辛くなったと仰っておられた。精力的に回っておられた日本SF大会や地方大会の参加もかなり稀になっていたが、それでも、今年東京で開催される第四十九回日本SF大会には、是非とも参加したいという旨の年賀状を頂戴したばかりだった。

 柴野さんの遺灰は、ご本人の希望で宇宙葬なのだと聞く。宇宙葬と行っても、現在のものは安定した衛星軌道までは上がらず、早晩再突入して燃え尽きるものだそうだ。星となり常に見守ってくださるのではなく、この地球を巡る風になり、世界各地のSF大会を見て、微笑んでおられることだろう。
 柴野さん、安らかにお眠りください。そして、ありがとうございました。
 私たちは、これからも、SFというジャンルと、あなたが始めた日本SF大会というイベント、そして、日本と世界のSFファンの交流を、ずっと続けて行きたいと思います。

 2010年1月17日 神北恵太 深い感謝と惜別を込めて

 なお、お通夜・お葬式は内々の小さな会場とのお話なので、その他大勢のひとりとしては、遠慮させていただくことにした。
 SF大会が続いて行く限り、柴野さんの精神はいつも我々の近くにある。寂しくはない。

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