2010/11/04

汝の正体みたり!……だぞ

 図版屋と言う商売柄、友人から献本を頂戴したり、今回は関わってないが前に地図を入れたシリーズの新刊を頂戴することはよくある。本当は全てここに書評を上げねばならないのだが、どうも僕は前世がオオナマケモノ(メガテリウム)な上になまけ妖怪火間蟲入道に若い頃から取り付かれ、ヤメタランスと友誼を結ぶナイスガイなので、ついついずるずると先延ばしにしてしまうことが多い。いや、ホント申し訳ない!

 とはいえ、普通は、小説やアニメ系の本であることが多いのだが、今回珍しく研究書を戴いた。まあ、研究書といっても大学の教科書のような謎の催眠電波を発し続けるハードカバーではない。新潮新書である。

 『もののけの正体——怪談はこうして生まれた——原田実(新潮新書 720円(+税))

 歴史研究家であり、歴史の中に意図的に織り込まれた「偽史」や妖怪等を得意なフィールドとする原田実さんの近著だ。
 第一章の開幕からお題は、安永7年の江戸で評判になった見世物小屋の「鬼娘」だ。大人気で「ニセ鬼娘を置くインチキ見せ物小屋」が幾つも出来、10年も経ってから「あの鬼娘は今」式の黄表紙本が出回ったと言うから、1976年のオリバー君騒動のような大騒ぎである。(ニセ鬼娘とかいうものの、本家本元「本物の」鬼娘がいったい何であったのかは、まぁ、判りはしないのだが……。(^_^;))

 この江戸を席巻した第一次鬼娘ブーム(ちなみに第二次ブームは1981年に始まる)をもたらすほど江戸期にはポピュラーな存在になっていた「鬼」について、古書を巡り、『出雲国風土記』に始まり、「オニ」と「ワニ」は人を食うものとして同じ語源から発したのではないかと言う語源説を挿み、平安期には既に追儺の儀式で、災い=鬼を祓うプロトコル(儀式手順)が完備され、政治システムに圧力弁として組み込まれているという話へと続く。

 そしてこの鬼を筆頭に、天狗、河童、幽霊、狐狸、化猫……、と、お馴染みの顔ぶれが、日本人の精神構造や善悪観、生活の有り様を規定して行く枠組みの中に、次々と組み込まれて行く小気味良い筆運びが続く。
 また、広くは日本文化のうちでありながらも独自の文化血脈を色濃く残す琉球や蝦夷アイヌの民話にある妖怪にも話は及び、妖怪と日本人との長い長い付き合いを顥かにして行く。こうして解かれると、妖怪への理解も深まり、日本人の精神風土も、道徳観も生死観も、いっそう良く見えてくるという作り。

続きを読む "汝の正体みたり!……だぞ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/07/18

GPSロガーを試したぞ

 最近、自転車に乗っている。20年程前に、面白がって買ったパナソニックのMTB(マウンテンバイク)を実家の車庫から引っ張り出して送って貰ったのだ。
 おかげで、冬の間歩いていた、さいたま市-東京間が、半分以下の時間で済むようになって来た。歩くと、ほぼ時速5キロで、池袋まで17.5キロが 3時間半。秋葉原まで23キロが4時間半〜5時間(さすがに4時間以上歩くと、少々疲れが出て速度が落ちてくる。)なのだが、自転車だと秋葉原が2時間半。それがなんとか最近では2時間弱程度に縮小されて来た。1時間半にならないのは、どこかで水分を補給したり、ランプの電池の交換をしたりという雑事がかなりあること、平均時速12キロ。49歳で20年ぶりに自転車に乗り始めるとさすがに5キロとか10キロとかの長距離を自動車に伍して車道を走り続けるのはしんどい。だから主に歩道を走っている遅い自転車乗りなのだ。まあ、高校時代は往事のサイクリング車で、最高時速30キロ超とか出していたし、主に10キロ程度までとはいえ、時速24キロ巡航とかで激走していたのだから、おいおいもう少しは脚力も回復して来るのだろうが、今はこんなところだろう。そもそも裏道を多用した四日市の田舎道爆走とくらべて、首都圏の混む道を往くのは格段に走り難いからなぁ。おかげで、雨でない限り東京方面への出撃は基本自転車になった。まあ、ここ暫くは梅雨の影響で走れない日も多かったが、2日に1回はそこそこの距離を自転車で走っている。

M-241外見
M-241
 小型かつ安価なGPSロガーとして人気の高い機種。Bluetooth接続が高い評価を集めている。

 とはいえ、こういう暮らしになると、自転車の速度とかが少しは気になる。が、速度計(最近ではサイクルコンピュータなんてカッコいい言葉で呼ばれ、いろんな機能を持っているが、別にタイムトライアルをしているわけでもないので、そこまでは要らない。)を導入する程でもないので、一計を案じてGPSロガーを導入した。HOLUXのM-241という機種だ。

 この機械の良いところは、売れている機種なので対応するソフトが割と多いこと。またMacへも非公式ながらもかなりの対応が成されており、実質、困らない程度には使えることと、値段が1万〜1万2千円程度と、機能の割には安価であること、等が上げられる。なんせ、これはいいと多くの自転車乗りがご推薦のGARMINのGPSロガーなんざぁ、5万10万アタリマエの世界なのである。神北はあまりBluetoothにはメリットを見出していないので、更に安価なBluetooth機能抜きの廉価版のM241cという選択肢も考えたのだが、行ってみた店に置いてないんじゃ話にならない。まぁ、この懐かしのコダック・フィルムみたいな形状とカラーリングも嫌いじゃないしね。

続きを読む "GPSロガーを試したぞ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/03/16

東京都が大変だぞ

 東京都が、狂いかけている。
 政治の歯車が今、おかしな方向に歪み、不要にして有害な回転を加えようとしている。この日記はちょっと長いが、日本で暮らす誰にとってもたいへん重要なことなので、是非最後まで読んでみていただきたい。

 ことは、平成二十二年、つまり今年2010年の年2月24日に提出された、第三十号議案「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」に始まった。この全文は、ここにある。(読みづらいのは勘弁していただきたい。本来これは、提出者や都議会が奇麗に整形して都民に広報すべき議案詳細ではないかと思うのだが、そういう場ではなく、読みに行って複写し、テキストに落とした方がおられて、初めて我々が見ることが出来た文面なのだ。)
 『無名の一知 財政策ウォッチャーの独言』さんが、2010年02月27日のエントリー「番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載」で、既存の条例文に改正案を組み込み、(比較的)見やすいものを作られたので、これもご参照いただくと少しは判りやすいかもしれない。

続きを読む "東京都が大変だぞ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/03/09

トンネルを歩いたぞ

あると
記念写真用ブース
 すぐ先を、月末に繋がる首都高速3号渋谷線がびゅんびゅん走り抜けるのをバックに記念写真が撮れる。しかしこのブースで撮るために凄い行列ができていた。

 2010年03月07日、日曜日。山手通り(環状6号線)の地下に建設された首都高速中央環状新宿線の山手トンネルの南端である首都高速3号渋谷線への接合点、大橋ジャンクションの一般公開が行われた。
 大橋ジャンクションは、もともと東急玉川線の車両基地、大橋車庫があった敷地で、車庫廃止後は東急バスの営業所として使われていたところ。渋谷の西に上下2連2周のとぐろを巻く長径175m短径130mの楕円形の施設で、この2周の内に、地下36mのトンネルと、3号渋谷線の高架と同じ高さの地上35mまで、高低差71メートルを繋ぐ。概算で8パーセント(100メートル進む時に8メートル上昇または下降する)という、なかなかの急勾配だ。
 中央環状新宿線は2007年12月にまず池袋から新宿までの北半分が開通し、新宿から渋谷までの残り区間はこの2010年03月28日にオープンする。
 だから、この公開が、人が歩いてこのジャンクションに入れる最後の機会となる。

続きを読む "トンネルを歩いたぞ"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010/03/04

またアホな法案が出てきたぞ

 2010年03月03日、連休を分散させる政府原案が、前原国土交通大臣を長とする観光立国推進本部の分科会で示された。たとえば、朝日新聞の2010年03月03日の記事『日本5分割で春秋5連休 政府がGW分散案』によると、こうだ。

 ゴールデンウイーク(GW)などに集中している連休を分散させる政府の原案が3日、観光立国推進本部(本部長・前原誠司国土交通相)の分科会で示された。日本を五つのブロックにわけ、春と秋の2回、週末を絡めて順番に5連休にする案だ。混雑を緩和し、観光需要を引き出す狙いだが、実現には課題が多い。

 政府案では、2回の5連休をつくるために祝日法を改正し、現在の祝日の一部が「休み」ではなくなる。現在のGWや秋の連休もなくなる。具体的には、憲法記念日(5月3日)、みどりの日(同4日)、こどもの日(同5日)、海の日(7月第3月曜日)、敬老の日(9月第3月曜日)、体育の日(10月第2月曜日)の6祝日が「休み」ではなくなる。その代わり、月曜から水曜の3連休を新たに春と秋につくり、土・日曜と連続してそれぞれ5連休にする。

 この5連休をずらして実現するため、「北海道・東北・北関東」「南関東」「中部・北陸・信越」「近畿」「中国・四国・九州・沖縄」の5ブロックに分ける。春の連休は5月の2週目~6月の2週目を対象期間とし、西から順番に連休にしていく。秋は10月の1週目からを対象に、同様にずらして設定する。

続きを読む "またアホな法案が出てきたぞ"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/01/17

柴野さんありがとうございます。

 柴野拓美さんが亡くなられた。
 年賀状で、年末から肺炎でご入院中と知らされてはいたが、そのまま亡くなられた。1926年生まれ、83歳。

 僕自身、柴野拓美賞を2002年に頂いた身でもあり、他の日本のSFファンダムの皆さんと同じく、ファン活動やコンベンションスタッフなどの活動の中で柴野さんにお世話になったことは、数限り無い。
 最初にお会いしたのはたぶんダイナ★コンを始める前に参加した、宇宙軍東海ベースの伊勢合宿、1981年か82年のこと。この小さなファン・イベントにゲストとしてお越し頂いたのだ。で、名前を覚えて頂いたのは、ずっと下って1988年。MiG-CON、群馬県水上温泉で開かれた日本SF大会の席上、「来年実行委員長を努めます」とご挨拶申し上げてからのことだ。

 アニメ系のライター仕事で一度、池上くんとふたりで柴野さんのインタビューをとらせて頂いたことがある。ガッチャマンの本だったが、タツノコでされた仕事全般についてや、ご自身のお話もいろいろと聴かせて頂いた。軍国少年時代、太平洋戦争中、八高(現金沢大学)時代に、仁科芳雄博士と少しだけ関わりがあり、原子力という新しいエネルギーについて聞かされたこと。初めてタツノコとの付き合いが始まった日に初対面の吉田竜夫さんから「宇宙エースのシルバーリングね、あれって何でしょうねぇ?」と訊かれたお話など、いろいろと聴かせて頂いた。

 21世紀に入り、柴野さんの調子が悪いという話をよく聞くようになり、ここ数年は、目、耳共に衰え、SFファンとしての活動も、なかなかし辛くなったと仰っておられた。精力的に回っておられた日本SF大会や地方大会の参加もかなり稀になっていたが、それでも、今年東京で開催される第四十九回日本SF大会には、是非とも参加したいという旨の年賀状を頂戴したばかりだった。

 柴野さんの遺灰は、ご本人の希望で宇宙葬なのだと聞く。宇宙葬と行っても、現在のものは安定した衛星軌道までは上がらず、早晩再突入して燃え尽きるものだそうだ。星となり常に見守ってくださるのではなく、この地球を巡る風になり、世界各地のSF大会を見て、微笑んでおられることだろう。
 柴野さん、安らかにお眠りください。そして、ありがとうございました。
 私たちは、これからも、SFというジャンルと、あなたが始めた日本SF大会というイベント、そして、日本と世界のSFファンの交流を、ずっと続けて行きたいと思います。

 2010年1月17日 神北恵太 深い感謝と惜別を込めて

 なお、お通夜・お葬式は内々の小さな会場とのお話なので、その他大勢のひとりとしては、遠慮させていただくことにした。
 SF大会が続いて行く限り、柴野さんの精神はいつも我々の近くにある。寂しくはない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/12/01

コンベンションに見る来し方行く末だぞ

 先日、7月に開催された第四十八回日本SF大会 とちぎSFファン合宿 T-con 2009 のスタッフ打上げがあった。スタッフと言っても、スタッフ会ではあまり顔を見たことのない当日ボランティア・スタッフをしたと言う人や、ゲスト だった旧友、笹本祐一くんも混ざり、和気藹々40人近い盛況なものとなった。
 28歳で実行委員長を務めた第二十八回日本SF大会ダイナ☆コンEXからまる20年。うち半分ぐらいの日本大会にそれなりに絡み、いくつかにはキックオ フの場に居合わせ、当日スタッフもやり、企画も持ち込み、ゲストで呼んで頂いたこともある。わりと日本大会の運営というモノと付かず離れず、人生歩んでき た方だと思う。
 しかし、今年、スタッフからの引退を決意した。

続きを読む "コンベンションに見る来し方行く末だぞ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/10/28

たしかに我々の青春は「『で』か『す』か『ち』」にあったぞ。

 1987年秋から89年夏。我々は、第28回日本SF大会ダイナ☆コンEXの準備のために走り回っていた。思えばもう20年以上前のことである。
 1961年生まれの神北がだいたい27〜28歳、他の多くは自分より若い仲間、そして、何人もの経験豊富な先輩達。直接実行委員会入りはしなかったが、色々と手伝って動いてくれた人々。当時、名古屋で神北が望みうる最高の布陣を敷かせて頂けた。

 で、活動の本拠が必要となり、名古屋駅新幹線口(西口)から800メートルとほど、地下鉄東山線亀島駅から200メートルもない、結構都心に、伝手を辿って激安物件を紹介して頂き、月額4万5千円也で、6帖+4帖半+キッチンという小さめの部屋を借り、実行委員会事務所とした。バブル期の日本に偶然残った、ミョーに昭和中期のニオイを残すマンションで、エレベータは無し。窓用クーラーを買って来てなんとか設置したが、事務用のパソコンとクーラーを一緒に使おうとすると電源が落ちてしまう。どうしようもなくなって大家と中部電力に頼んで電力を30アンペアに上げたのだが、電源工事に来た担当者の人が「こりゃ苦しかったでしょう、今どき15アンペアなんて、普通民家であり得ないですよ」と言っていった。たぶん、住むと言うよりも、名古屋駅に近い拠点として、物を置いたりする用途で借りる人が多く、電気をバンバン使うようなことがなかったんだろうなぁ。

続きを読む "たしかに我々の青春は「『で』か『す』か『ち』」にあったぞ。"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/10/06

あなたのすぐ傍にある危機……だぞ

 いささか旧聞に属するがらくたGallery 海外仰天・面白ニュース速報の9月上旬ごろの記事に、 『イギリスのビスケットはとても危険らしい』というのがあった。

 ニュースソース自身がそれを明らかにしていないのか、どれだけのタイムスパンの中で起こったことかは判らないが、「英国ではコーヒーブレイクやティーブレイクの時に約2500万人の大人が負傷しており、すくなくとも500人は病院で治療を受けているらしいということが調査でわかったそうです。原因はなんとビスケット。しかもカスタードクリームビスケット。飲酒時よりも危険らしいです。」ってなことらしい。

・熱い紅茶にビスケットを浸して火傷
・ビスケットで誤って目を刺す
・ビスケットの缶に手を伸ばして椅子から転げ落ちる

 恐ろしい…ビスケットはなんと危険な食べ物なんだろう!えーと、他の事例は…

・落ちたビスケットを拾おうとして生乾きのコンクリートに足を突っ込む

 バカなの? 死ぬの? ……そりゃ怖すぎだって……。(^_^;) ていうか、生乾きのコンクリートの脇でティータイムって何? ……まあ、大工さんだって休憩するけどさ……。

続きを読む "あなたのすぐ傍にある危機……だぞ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/27

ここまで来たぞ

 日本の技術は、遂にここまで来た。

 友人のZakくんに教えてもらった映像だ。日本のとあるロボット・ワークスが、遂にこんなものを作った。

続きを読む "ここまで来たぞ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧